東洋文庫 ジョージ・マカートニー 中国訪問使節日記 (1794)

  ジョージ3世治下のイギリスはジョージ・マカートニーを全権大使として乾隆帝治下の清国に送り込む。目的は通商条約締結である。1792年9月21日マカートニー率いる使節団は軍艦ライオン号に乗ってポーツマスを出港する。ベルデ岬諸島、リオデジャネイロ、トリスタン・ダ・クーニャ島、アムステルダム島バタヴィアツーロンマカオ舟山群島を経て使節団は1793年8月11日に天津に上陸する。さらに通州、北京を経て円明園の宿舎へ8月21日に到着した。

  この時期皇帝たちは熱河(承徳)の離宮に滞在中である。シャンデリア、時計、プラネタリウムなどの貢物を円明園に置いて使節団は9月2日熱河へと出発する。この間清の高官たちに謁見時の跪拝、平伏についてレクチャーされるのだがマカートニーは断固拒否している。またいろいろと邪魔をしてくる欽差大臣の事を警戒している。

  9月8日使節団は熱河に到着し9月14日宮廷においていよいよ乾隆帝に謁見する。結局、三跪九叩頭は行われずイギリス式儀礼で決着した。使節団はしばらくここに滞在するが儀式と余興が終了したと告げられ9月21日に北京へ出発する。 10月13日に天津に到着。天津からは大運河を陸路を交えながら航行し杭州、南昌を経て12月19日英国商館のある広州へ到着する。ここでいろいろ情報を収集し翌年1月15日マカオに着いたところで日記は終わる。
   マカートニーは明晰な文章と優れた観察眼を以ってこの日記を記述し、その分析力は驚くべきものである。日本に来られたらたまったものではないと思った。だが肝心の通商条約締結は失敗に終わりマカートニーが日本に来ることも無かった。


 

 


 

 

クロサワコウタロウ 珍夜特急 1〜6 (2013)

  この本によるとバイクでユーラシア横断を成し遂げる事を思いついたのは著者が19歳の時で達成したのがその3年後である。大学を休学してアルバイトで250万貯めてシティーバンクの口座を作り愛機のXL250Rパリダカを船便で送りカルカッタからポルトガルまで走破する事11ヶ月無事日本に帰還した。

   広大なインド、イラン、トルコのような国と比べヨーロッパではすぐ目的地に着いてしまう感覚が生じたようである。観光はメインでは無く宿で出会った仲間との交流にウェイトが置かれている。インドで早速マリファナを経験する。日本人宿の連中と呑んだくれたり、ブダペストナイトライフを楽しんだり、アムステルダムでは飾り窓も体験したとある。

   僕は全6巻を三日で読破しインドの赤バナナ、トルコの鯖サンド、トルコのエフェソス、トロイ、パムッカレ、ノルウェーのノールカップ、リスボンのファド、ロカ岬をネットで確認した。なかなか楽しい週末だった。

 

 

iPad mini 2 + ロジクール

   いつの間にかiPad mini 3 がラインアップから消えていたのでiPad mini 2の整備済み品を入手した。iOS 10になっており日本語英語切り替えが復活した。大きさと軽さは依然として文章入力に最適でこれを凌ぐものは見当たらない。

 

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東洋文庫 山川菊栄 おんな二代の記 (1956)

  幕末の水戸藩の恐怖時代をくぐり抜け千世が父の居る東京へと旅立ったのは明治5年6月7日の事だった。その後千世は築地の上田女学校、四谷の報国学舎、御茶ノ水女子師範学校へ進む。卒業後は就職することも無く水戸藩足軽の次男坊の森田竜之介と見合い結婚する。竜之介は横浜外語学校でフランス語を学び食肉製品の技術者になり活躍する。二人の間に生まれたのが山川菊栄である。

   千世の見た当時の東京の世相が鋭く核心をついていて感心させられる。裏話のようなエピソードも豊富で純度99%の朝ドラを見るような心持ちで面白く読めた。ごく一部を引用し供覧する。

    荒れ野原の東京

  三百諸侯と旗本八万騎という寄生階級を中心に栄えていた消費都市江戸は、武家制度が亡びると同時に荒れはて、多くの屋敷は解きほぐしてよそへ運ばれ、空地にしげった立木、庭石や泉水ばかり残されていたり、彼らが何代もすみふるしてすてていったボロ長屋に明治政府の役人となった田舎ざむらいが巣をくって、とことどころにわずかに灯影のほのめく荒れ野原が、そのころの山の手の姿でした。

   西南戦争のころ

  西南戦争は八ヶ月で片づきましたが、あれしきの暴動を、比較にならないほど十分な装備をもつ近代的軍隊の官軍が鎮圧するのにあんなに長くかかるはずがなく、まったく三菱が私腹をこやすため、軍隊や軍需品の輸送に必要以上に時間をかけ、戦争を長びかせたものだと世上でとりざたされ、実際このときはじめて強大な三菱王国の基礎がしっかりとつくりあげられたことは否めません。西郷は三菱の福の神だ、西郷が命をすてて三菱をふとらせたといわれました。