Nutube 使用イコライザー (4)

    スペクトラムでわかっていたが聴いて見るとやはりハムがあるのでアンプの順番を内部で入れ替えた。これだけでハムは解消する。

 

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  クラシックでは半導体版に圧倒的な差をつけるしポピュラーでもギターの音色、抜けの良さで優っていると感じた。怖るべきイコライザーアンプだ。

 

 

 

 

 

映画 ハリーとトント (1974)

  きっかけは住んでいたアパートの取り壊しで主人公のハリーと飼い猫のトントはニューヨーク郊外の長男の家にひとまず移り住む事になる。だが教師上がりで偏屈なハリーは一家に緊張をもたらしたちまち出て行く事になる。ハリーには資産もありニューヨークのダウンタウンにでもまたアパートを探せば良さそうなものだがトントの導きでアメリカ横断ドライブをこの歳で実行する羽目になる。

  まず長女のいるシカゴに行こうとするが猫が居る為飛行機の搭乗を諦めざるを得なくなり、長距離バスではトントの用足しをしようとしてバスに置いて行かれる。結局中古車を購入しトントとドライブしながらシカゴを目指す事になる。トントに告白する様に話しかけるハリー。愛妻のアニーを亡くしたハリーは今思うと幸せな人生だったと述懐するのだった。

  シカゴに着くと書店を経営していた長女は4回も離婚しておりハリーとはすぐ口論になる間柄だが根は父を愛しているのだとわかる。ハリーが15歳の家出少女を連れていた事からここにも居られなくなり孫のノーマンと三人で今度はコロラドを目指す。コロラドにはヒッピーのコロニーがあるという。

  ハリーは車を孫に譲りアリゾナから次男の住むロサンゼルスを目指す。途中ラスベガスに寄り5ドルほど賭けるがすってしまう。白髪で髭を生やしスーツと蝶ネクタイのハリーはラスベガスでもなんとかサマになっている。ここに来る途中で高級コールガールも経験した。

  ロサンゼルスに着くと現れた次男は何か様子がおかしい。事業に失敗し離婚もし文無しであると告げられる。息子のことを深く愛しているハリーは金銭援助を約束し優しく励まし物件を探してもらうことにする。

  時は過ぎチェスの仲間もできハリーがのんびり会話を楽しんでいるとトントの様子がおかしくなる。高齢だったトントは動物病院で息を引き取った。ある日ハリーは浜辺でトントに似た野良猫を見かけ追いかける。陽光に満ちたロサンゼルスの海辺でハリーは煩わしい人間関係から逃れ残りの人生を楽しむのであった。

 

 

 

 

 

 

映画 あゝ青春に涙あり (1952)

  寛平(池部良)は銀座のレストランマロニエのぼんぼんで都内の大学に通いながら家業の手伝いもしている。大学の試験は才女の辰美(久慈あさみ)に助けてもらいながら陸上をやっている。辰美は将来政治分野の職業婦人を目指していると言う。寛平は辰美と都内でデートしたり彼女のアパートにいったりするがキスを拒まれる。結婚を意識するでもないが寛平は辰美の口車に乗せられ彼女の実家に行く事になる。余りに立派な旧家に驚くが結局彼女から距離を置きましょうと言われる。

  寛平が不貞腐れていると旅の途中で会った謎の女性がレストランにやって来る。女はマユミ(越路吹雪)といい何故かシャンソンが上手く大森公爵の落とし胤であると言う。公爵と芸者の関係を清算させたのが寛平の父の寛助(森繁久弥)である。この奇遇が元で寛平はマユミのアパートに足繁く通う様になる。どうやら寛平はマユミの大人っぽくミステリアスな魅力に参ってしまった様だ。マユミも寛平の純真さに惹かれておりこの恋は本物である。

  だがここで三者三様の思惑が炸裂する。父の寛助は死んだ妻の連れ子の加代(岡田茉莉子)と寛平が結婚し店を継いでくれる事を願っている。加代は寛平の事を想いながらも才女の辰美と寛平の結婚を望んでいる。辰美はよくわからないのだが寛平がもっとしっかり学業をやればOKしても良い位に考えているのでは無いだろうか。まず加代がマユミのアパートに押し掛けて寛平には才女で美人の恋人がいると言う。辰美もアパートに押し掛けて一言う。なんと寛助の愛人まで押し掛けて行った。この状況にさすがのマユミも身を引く事にしたのである。

  マユミに振られてしまった寛平は家に帰ってきて泣くのであるがそれを見た加代が寛平を慰めるのである。寛平は泣きながら加代の心に気付き父の思惑通り加代と結婚するのである。

 

  男からすると周りから干渉されて意中でない人と結婚させられる人生は最悪だと思う。だがこの映画で一番の美人は加代なのでそういう印象はあまり生じていない。美人ならいいかと思うのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鈴木傾城 タイでは郷愁が壁を這う (2017)

   鈴木傾城氏の自伝的エッセイである。 若い頃の氏はぼんやりと進む道も考えてはいたし周囲から期待もされていたという。初めての海外旅行はタイでカオサン、ヤワラー(チャイナタウン)、クロントイと長期滞在した後日本に帰って来た。すると1年もしないうちに熱帯のギラギラした太陽と甘酸っぱい匂いが忘れられず氏はバンコクに戻って行く。この時の開放感からマリファナとシンナーが蔓延する売春地帯のバッポンに本格的にハマった。この時氏の人生は決定したようである。一度は日本に帰りタイの記憶は封印し生きて行こうとするのだがタイの重くけだるい空気とやさしい女達のことが忘れられず、とうとう売春地帯の一匹狼として生きて行く事を選んだのだと言う。

  だがタクシンの登場により経済が発展し歓楽街に規制がかけられる様になるとカオサンもバッポンもかつての開放的で無法地帯的な部分は影を潜めどんどん様変わりして行った。どこもかしこも観光客向けのビジネス化が進んで行く。あらためて訪れて見ると昔の様に惹かれる感情も薄らいでしまった。

  今こうして日本のコーヒーショップで目を閉じて音楽に聴き入っていると様々な思い出が脳裏に浮かんで来るが嘗ての安宿や運河やファランボーンの駅も今は見ることは出来ない。女たちも何処かへ消えてしまい今は記憶の中に残るのみである。写真に撮っておけばという後悔もある。タイで自分の人生が狂ったのはある意味幸せだったと思うこともあるが、一人の女を愛し子供も作りつましく生きて行けば良かったのではと思うこともある。今振り返ればタイでは必ず見かける壁にへばりついたヤモリと女たちのべピーパウダーの匂いに郷愁を感じる自分がいるのである。