東洋文庫 慊堂日暦 (1823〜1844)

  江戸の儒学者松崎慊堂の書き残した日記であるが今のブログに近いものがある。筆者は若い頃脱藩して江戸の寺に入り昌平黌で学んで儒学者になる。32歳の時掛川藩の藩校の教授に招聘され45歳で隠居する。その後は目黒の山房と江戸を往復しつつ大名邸で講義も行うという日々を送る。この本には慊堂が54歳から74歳に至るまでの間の事が記されている。これだけ続いていると記事の量は膨大なものになる。メモ魔の如く事件やちょっとした知見、日々の暮らし、自作の漢詩なども書き残している。

疥癬
  黄柏、当帰、茯苓、松脂、霜黒松皮、羊蹄大黄(スカンボウ)。羊蹄大黄を雷砕し六味と好酒とを合して和練す。これを体に塗り火を以って炙乾し再び浴湯し即出すること日に一次。胃苓湯を内服す。結瘡部には霜黒松皮を塗る。

シラク
  田螺の身に蕎麦粉をかけ、泥の様に練る。和大黄を擦り入れこれを塗れば即効あり。

◯黴瘡
  蒸露罐を以って瀝青を取り黴気ある人をしてその上に呼息せしめて、顕微鏡を以ってこれを観れば、湯の上はみな虫。これ黴瘡を治むるには、必ず水銀及び粉を用いる所以なり。

◯徒歌二十七字

  伊多胡腔

キミトワタシハ、タナカノカハズ、ミズニアハズニ、イラリヨウカ。

ルカクルカト、カハシモミレバ、カハラヨモギノ、カゲバカリ。

ゴシヨウネガハバ、サマオヤタノメ、オヤハコノヨノ、シヤカニヨライ。

こんな感じである。

 

 

 

 

 

映画 モーターサイクル・ダイアリー (2004)

  23歳の若きエルネスト・ゲバラが友人のアルベルトとアルゼンチンからベネズエラまでバイクで大陸縦断するという実話を基にした本格的ロードムービーである。エルネストはブエノスアイレス大学医学部の学生でこの旅行のため休学し家族に見送られ1952年1月14日の朝、一台の500ccのバイクに荷物を積んで出発する。バイクには二人で乗り運転は時々交代する。雪の積もったアンデス越えで苦労し、チリの鉱山労働の実態を見学し、マチュピチュでは歴史を考察する。バイクは3000kmくらい走って壊れてしまった。以降はヒッチハイクで先へ進む。

  6月8日ペルーのサン・パブロに到着する。ここにはハンセン病の療養所があり二人はボランティアとして仕事に従事する。この施設は修道女たちが世話をする隔離された患者エリアと研究所のあるエリアに分かれておりアマゾン河で隔てられている。二人は患者たちやスタッフと交流し、いよいよ筏でベネズエラに入る。首都カラカスで就職するアルベルトを残しエルネストは飛行機でブエノスアイレスに戻った。1952年7月26日の事である。この後大学を卒業したエルネストは進む道を変え革命家として世に出て行くのである。この旅が影響したとのだという。

  エンドロールでは本物の二人の写真と当時の新聞記事、超高齢となったアルベルトの姿が映し出される。一方ゲバラはというとボリビアで逮捕されたのちCIAの工作により射殺されたとエンドロールに書かれている。ストーリー自体は中立の立場で淡々と進んで行くがゲバラについては弱者に共感する聡明な人格者として描かれておりやはり心持ち美化されているのでは無いだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

映画 ピアノレッスン (1993)

  主人公のエイダのピアノ演奏は殆ど即興のようでリストのようなニューエイジ系のような興味深い音楽を奏でる。有名曲が出てきたのは2回ぐらいである。エイダはピアノと一心同体でその代わり言葉を失っている。性格は強情そのもので可愛い娘がいる未婚の母である。エイダが親の計らいでスコットランドからニュージーランドの移民の家に嫁ぐ所から物語が始まる。ニュージーランドに着いてみると港も道もなく、重いピアノは浜辺に置き去りにして泥道を婚家まで歩くことになる。夫になるスチュアートは悪い人ではないが音楽に関心は無く冷淡なところがあり最後までエイダの心を掴む事は出来なかった。

  マオリ族がまず引越し業者として出てきて移民たちと溶け込んで暮らしている様子が描かれる。移民は荒地を開拓しながら物品と土地を交換し私有地を広げて行く。北部には町があるようだが映画には出てこない。浜辺のピアノと土地を交換して自分のものにしたベインズが奇妙な提案をする。エイダが黒鍵の数だけレッスンしてくれたらピアノを返すと言う。レッスンに訪れるエイダにベインズは少しずつ大胆な要求をして行きついに体の関係を結ぶのである。

  ピアノは帰ってきたが情事を目撃したスチュアートはエイダを監禁する。だがベインズに恋文を送ろうとしたエイダにブチ切れて斧で指を切り落とす。エイダは音楽家なのだ。このまま廃人になって仕舞えば大人の寓話として成立するのだがそうはならない。スチュアートはエイダをベインズにくれてやり全てを悪夢と思って忘れると言う。

  マオリ族の引越し業者がピアノを積んで島を出航する。舟はギリギリの大きさである。ベインズはピアノを彼女にとって大事なものと認識している。ところが沖に出るとエイダはピアノを海に捨てろと指示する。海に沈んで行くピアノのロープに足が絡まったエイダはピアノと共に沈んで行く。ここで終わればちょっとホラーっぽい寓話になるのだが女性監督のジェーン・カンピオンはエイダを浮上させベインズと町で幸せに暮らすという意外な結末を用意する。

  カンヌのパルムドールに充分値する作品だが、女性の身勝手さにはしっぺ返しが来るという旧社会の現実を意図的に書き換えた演出が感じられる。