リチャード・ロイド・パリー著 黒い迷宮 (2015)

  「7年ごとの記録 イギリス 7歳になりました」風に書くと、

 

  ルーシー・ブラックマン 7歳 、1978年生まれ。ケント州、セブンオークス在住。5歳の妹ソフィー、2歳の弟ルパート、父 ティム、母 ジェーンと丘の上にあるローラアシュレイ風の家に住み、丘から見下ろせるグランヴィル初等学校に通っている。周囲には田園風景が広がる。ルーシーは几帳面で心優しい少女として育っていた。妹のソフィーは利かん坊でルーシーがなだめ役だった。母ジェーンの回想ではその頃の生活はまるでおとぎの国の世界の様だったと言う。

  14歳。ルーシーは奨学金を得てウォルサムストウ・ホールというミッションスクールに通っている。12歳の時マイコプラズマ肺炎にかかったルーシーは2年も勉強が遅れてしまった。療養中に幽霊と会話するという超自然的な現象を体験している。この頃はまだ家族五人で暖炉を囲んで三色トーストを食べる幸せな生活を送っていた。

  21歳。ルーシーは代々木ハウスというバックパッカー向けのゲストハウスに寝泊まりし六本木のカサブランカというナイトクラブのホステスとして働く日々を過ごしていた。どうしてこうなったのか。

ここまでにはいろいろあった。まずルーシーが17歳の時、父のティムの浮気がばれて夫婦が離婚する。母と子たちは小さな家に引っ越して住む事になる。その頃のルーシーは美人とは言えないが長身でおしゃれが完璧な少女だったと言う。

  ウォルサムストウ・ホールを卒業したルーシーは大学には進学せずロンドンの金融街でアシスタントとして働く様になる。この頃の年収は380万円だったが買い物が好きなルーシーは浪費癖がついたという。一年後、英国航空の客室乗務員に採用される。だが乗務がきついわりに収入が少なくルーシーのかかえている借金が返せそうにない。友人のルイーズに誘われたルーシーは金が稼げる東京に出て働く決断をする。2000年5月のある日ルーシーは成田に降り立った。

  ルーシーはルイーズと共にカサブランカのホステスとして働きながらプライベートでは米海兵隊員のスコットと親しくなる。2000年7月1日ルーシーはある客と車でドライブしているという電話をルイーズにかけたのを最後に姿を消した。この後の展開はリアルサスペンスドラマであるがルイーズ、英国大使館、警察の奮闘によりとうとう犯人逮捕に至るのである(11月17日織原城二再逮捕)。

  7歳までに人は作られるの伝で行けばルーシーの人生はゆくゆくは優雅な生活に落ち着いただろうと思われる。イギリス女性らしくしぶとく生き残り、結婚相手を見つけて家庭を築くのである。だが家庭が崩壊し転落を味わうと「旧ソ連28歳になりました」に出てくるアーシャの様に、ちょっとおかしな考え方になるという例もあるのでこのケースはむしろそうだったのかもしれない。ルーシーの選択に闇の部分が垣間見えるのである。

東洋文庫 秋山紀行 (1828)

  この書は十返舎一九と親交がある塩沢在住の鈴木牧之が59歳の時、信越国境にある秋山峡を訪れて村落の様子を詳しく記したものである。秋山峡は秘境中の秘境であり平家の落人伝説がある。案内役の桶屋團蔵と共に文政11年(1828年)9月8日塩沢を発ち見玉に至る。その後は中津川の渓谷沿いに集落をたどり11日には最奥部である湯本に至った。その後は反対側の渓谷を通って14日に帰還した。

  記事になっているのは、見玉、清水川原、三倉、中の平、大赤沢、小赤沢、上ノ原、和山、湯本、屋敷、前倉、上結束、坂巻の集落である。大赤沢と小赤沢の間に苗場山紀行が付されている。これは牧之が42歳の時に登山して著したものである。十返舎一九の急逝により秋山紀行は出版されなかったが自筆本と写本が保存されており昭和37年には出版されている。

  各集落の戸数、家屋のつくり、調度、茶器、言葉の訛りなどを牧之は克明に記しており、畑や道の状況、眺望も記されている。牧之はまた絵心があり集落の絵図を山水画風に描き残している。これがこの本の民俗学的価値を高めている。

  この本にはすぐは読めない漢字が出てくるので調べながら読み進んだ。

葎 むぐら
迚も とても
燒 焼
栖む 住む
俤 おもかげ

 

 

 

 

 

 

 

映画 セブン (1995)

  米ローリングストーン誌の「90年代の最も素晴らしい映画 TOP100」 で56位にランキングしている映画である。ちなみにピアノレッスンは第10位だった。

  腕利きの老刑事サマーセットがあと数日で定年という状況で難事件に挑むのだがこの状況はどこかで観たことがある。映画プレッジ(2001)だった。これはジャックニコルソンの怪演が心に残ったいい映画である。サマーセットが殺人現場に残されたメッセージをキリスト教七つの大罪であると読み解いてあと5回起こると予言する。これも似たような映画か小説が幾つかあると思う。サマーセットがそんなに知的な刑事なのかという違和感もあった。

  若手の刑事ミルズの妻が美人というのもセルピコ(1973)を模したもののようだが、最初の二人の会話からはミルズの方が死ぬのではと思わせる。実は最後の最後で逆だと分かるのだがなんだか釈然としない。

  いよいよサイコパスによる猟奇連続殺人である事が明らかになって来るのだが途中で犯人が出頭して来るという意外な状況になる。犯人の申し出は罠だと警戒されるが刑事はあっさりと承諾して指定された現場に行くことになる。サマーセットが荷物を開けて驚く処は何だかわざとらしい気もする。中身が何であるかは箱の大きさなどで気付くはずである。相棒役のブラッドピッドの演技も少々大げさで心を打つという迄は行かなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

郁達夫 沈淪 (1921)

  兄夫婦が政府命令で日本に留学する事になり当時自宅勉強中だった達夫は同行して第一高等学校に入学する。予科の一年を終え兄の勧めで次は医科に三年行くことになる。達夫は美人が多いという名古屋の第八高等学校を選び汽車に乗る。二十才の達夫は車窓から昏れなずむ景色を見ながら今の心境を清教徒に例えたりハイネの詩集を開いたりする。やがて夜が明けるとそこは名古屋だった。駅に降り立った達夫は二本線の制帽を冠った学生に声をかける。学生は八高まで同行してくれた。鶴舞公園まで市電で行きそこから8キロほど田園地帯を歩いた。すでに下宿先には荷物が届いており達夫はこれからの下宿生活に何と無く淡い期待を抱くのである。

  授業が始まって半月になろうとする頃達夫はもう孤独に陥っていた。学友から孤立し中国人留学生との仲も険悪になり唯一の友は道を歩くときの青空や薫風、そしてスミレの花といったものになっていた。だが二十歳の達夫の性欲は旺盛である。自慰に耽ったり大家の娘の入浴を偶然覗いたりして性欲が高まった達夫はこれではいけないと思いその下宿を飛び出して丘の上の梅園にある一軒家に移り住む事にする。丘からは熱田神宮と広い濃尾平野が一望できたがとても淋しい所である。その頃の達夫は兄との仲も険悪になっており神経症を患いながら金もなく女もいない仙人のような生活を送っていた。

  或る日達夫は自暴自棄になり市電に飛び乗り町へと向かう。市電を乗り継いで港まで行くと料亭の様な所がありフラフラと入ってしまう。料理とお酒が出て女を抱けるような処と達夫は承知している。二階の部屋に案内され緊張している達夫は仲居に発情するのだが顔を赧めて酒をどんどん飲むことしか出来ない。酔いつぶれた達夫は眼覚めると布団の中にいた。女を抱くのは諦めて勘定を聞くととても払える額ではなかった。達夫は二円だけ払って逃げるようにその場を去って行ったのである。自分が異国でこんなに恥ずかしい思いをするのは故国の中国が弱いからだ。ああ故国よ何とか強くなってくれと達夫は慨嘆する。達夫は兄との確執から文科に転向し結局名古屋には四年居ることになった。

  以上がこの小説が書かれた背景と要約である。身も蓋もない様な内容だが実際の訳文は文藝的にとても素晴らしい。日本の私小説よりも味わい深いものがある。アジア近代文学の最高峰と言えるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

NUTUBEヘッドホンアンプ III (2)

    アンプにはNJM4580DDを用いている。ミューティング回路によって無音で立ち上がり無音で電源オフになる。

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    ポピュラーもクラシックも何でもこなしている。透明度と鮮度と奥行きが元のソースより増している。直熱三極管による不思議な現象である。