東洋文庫 七王妃物語 ニザーミー(1200)

著者のニザーミー(1140〜1203諸説あり)はガンジャ(今のキロヴァバード、カスピ海の西)出身で生涯をそこで過ごした。「四つの講話」を書いたサマルカンド出身のニザーミーとは別人である。三人の妻と一人の息子がいる。ニザーミーはあらゆる学問に通じ膨大な詩作を残した。「神秘の宝庫(1177)」、「ホスローとシーリーン(1181)」、「ライラとマジュヌーン(1188)」、「七王妃物語(1200)」、「アレクサンダーの書(1203)」の長編叙事詩五部作が有名である。中でも5130句から成る七王妃物語は最高傑作とされている。内容はササン朝ペルシャの18代君主バハラーム5世(406〜438)の一生を歌ったものであり、フィルドスィーの「王書」にもこれに相当する部分がある。

バハラーム王子はヤズダギルド1世の子として生まれるがアラブ系の王ヌーマーンとムンズィル一世の元で養育され教育を受ける。成人するとササン朝ペルシャの王に復帰する。善政を行なったとされる。エフタルを撃退するがビザンチン帝国には敗北している。

あらすじ

お告げによってアラブの地イエメンに出された王子バハラームは、養父ヌーマーンに壮麗な宮殿を建てもらい教育を受ける。この宮殿には秘密の部屋があり七つの肖像画が飾られていた。王子はこの天国の様な地で酒と狩猟を楽しむ。弓の腕は確かなもので獅子、騾馬を仕留め、ドラゴンも仕留める。猟には美人の女奴隷を従えて居たがあまりに気が強いため将軍に命じて処刑する。だが女奴隷は将軍に命を助けてもらい後に王子と復縁した。

王子はこの様に享楽的な人間だったが、父の死後ペルシャで傍系の王が即位すると、軍隊を送って自分が王になった。王位に就くと年貢を減免し、バラマキの政治を行うが主に三人の長官に任せて自分は酒と狩猟を楽しんで居た。

当時の状況は東からエフタル、西からはビザンツ帝国がこの国を脅かしていた。いよいよエフタルが攻めてくる事になると軍は頼りない王を裏切りエフタル側に付こうとする。王は姿を消し何処かに行ってしまうが実は相手が油断するのを待っていたのである。相手の動向を偵察すると手勢を率いて夜襲し撃破してしまったのだ。軍を率いていたヌーマーンは王から詰られるがかえって財宝を持たされてイエメンに帰っていった。

戦争が一段落するといよいよ肖像画に描かれていた7人の美女の獲得に乗り出す。その美女とは、カヤーニー家の王女、ハーカーンの王女、ルームの王女、マグリブの王女、インドの王女、ホラズムの王女、スラブの王女である。軍事力と財宝を使って手に入れた。七つの円屋根を持つ御殿を建てて王女たちと遊興する。

訳文を例示する。

第25章

バハラームは歓喜にふけりたくなると

7人の肖像画に目をそそいだ

土曜日にシャンマースの神殿を出て

アッバース朝の色、黒い衣服を身にまとい

麝香の様に黒い円屋根御殿へ

インドの王妃に会いに行った

王は夜までそこで楽しみ

沈香をたき、香水をふりかけた

(中略)

インドの王女がバハラーム王に

この話をすっかり語り終えると

王はその話に賞賛を送り

彼女を抱いて楽しく眠った

第27章

月曜日になるとバハラーム王は

緑色の幸運な天蓋を月まで引き上げた

王は緑の蝋燭のように光り輝き

闇の天使のように緑の衣につつまれて

心楽しく、喜びながら

緑の円屋根の方に向かった

夜、エメラルドのような緑の大空に

星の園から春の花がちりばめられたとき

王は緑をまとった賢い糸杉に

砂糖のように甘い話をするよう頼んだ

妖精の顔をした王妃は敬意を表してから

ソロモン王のような王に秘密の帳を開き

(中略)

紅い唇で砂糖の泉を始めた

王がこの様に遊興にふけっているうちにエフタルが再度来襲する。今度はオクサス河まで来た。王は思 案したが気付いてみると兵士は5人以下で財宝はゼロという有様である。ラースト・ルーシャンという宰相が不正をして王国を滅ぼしていたのである。王は宰相を監禁して囚人を尋問する。囚人たちは宰相の悪事を語り7人目が終わると王は宰相を絞首台にかけた。そうして再び国に富が復活し兵力も戻った。それを聞いたエフタルは退散して行ったのである。

王の最後

王妃との遊興を辞めた王は円屋根御殿を拝火教寺院にして自ら狩に出かけ洞窟に入って永遠に出てこなかったという。享年60歳。

ETV特集 佐藤さんとサンくん~難民と歩む あかつきの村~ (2018)

2017年の夏、取材班は群馬県前橋市を訪れる。ここに一人のベトナム難民がいる。グエン・バン・サン53歳である。地元のおばさん風の女性Sさんが小屋をノックすると本人が現れた。車に乗り込むと赤城山のドライブに出発する。お茶とバナナが用意されている。1日に5回のこのドライブがサンくんの日課である。ここは正式には社会福祉法人フランシスコの町あかつきの村といいSさんは職員である。

ドライブが終わるとサンくんの布団と食器を母屋に運び朝食の準備を続ける。統合失調症うつ病を患っている4人のベトナム難民と6人の日本人がこのグループホームに暮らしている。

1975年戦争終結後のベトナムで迫害を恐れたベトナム人ボートピープルとなり日本にも1万人の難民がやってきたと言う。政府は1978年ベトナム難民定住許可を出す。民間の難民定住促進センターとしてあかつきの村も難民を受け入れる。ここで日本の生活を学び350人以上のベトナム難民が日本社会へ巣立って行った。

サンくんは幻聴があるため一人で離れで暮らしている。ディレクターが話しかけても口を利いてはくれない。古い付き合いのあるジャンさんがサンくんの許を訪れる。ジャンさんは和歌山で介護の仕事をしているという。ジャンさんにサンくんが日本に来た経緯を取材できた。 牛飼いをしていたサンくんはある日密出国者を目撃したことから連れ去られ日本に難民としてやって来たという。サンくん19歳の時である。

サンくんは政府の定住促進センターで3ヶ月日本語の研修を受け日本社会へ送り込まれる。中小企業で5年間いくつかの仕事を転々とするが適応できずに閉じこもる様になる。医師の診断は統合失調症に移行する可能性のある心因反応というものだった。結局民間の施設あかつきの村に入った。1998年に放送した「ベトナム難民を支えて〜17年目のあかつきの村」には苦悩する石川神父(61)と廃人同様のサンくん(33)が写っている。そこをシスターの実習で訪れたのがSさんである。サンくんを見たSさんはここ赤城山麓の施設で仕事に従事することを決意する。それから20年、神父さんはすでに死去しサンくんの面倒はSさんがみて来た。

昼のドライブに密着する。帰ってくるとサンくんは車に残った。庭にはヤギがいて草を食んでいる。動物の糞の臭い、カエルの声がサンくんの心を安定させるという。他のベトナム人入所者を取材する。トンさん(59)はいつも音楽を聴いている。日本の演歌が好きという。ドゥクさん(53)は散歩しタバコを吸っている。タバコを吸う理由は職業病だと言う。長兄は交通事故で次兄は飛び込み自殺で亡くなった。1996年一時帰国できる事になったサンくんは石川神父とベトナムに帰る。ところが現実は甘くなかった。家族の反応は冷たくサンくんは日本で生きて行く事を選択する。その後のサンくんに変化が訪れる。退行現象である。3歳児の様になったという。

自死した入所者も4名いる。ホアンさんが書いた部屋の落書きには自分は日本の犬とある。夜の11時半、まだ起きている入所者がいる。トンさんは家族のことを語る。二人の妹に会いたいけれど自分は病気なので会わないという。石川神父の没後7年目の追悼式が行われた。あかつきの村は2000年に定住促進センターの役割を終え社会福祉法人となった。2007年から赴任した精神保健福祉士の若い所長が語る。赴任当初からSさんに罵倒されたという。今は悟った様に所長としての仕事を淡々とこなしている。

8年目Sさんが燃え尽きて泣いていた時難民が慰めてくれたという。Sさんの姉が訪ねてくる。サンくんの事もよく知っている。姉が言うにはサンくんはSさんの息子の様だと言う。 昨日もサンくんが四時間も徘徊したがSさんはただ付いて歩いただけと言う。Sさんは今の心境を語る。(皆んな自分の存在を失ったが、)存在の肯定はいっしょにいる時間だと言う。

映画 南極物語 (1983)

宗谷が第二次越冬を断念して15頭の樺太犬が取り残されるが、犬たちが突然暴れだし鎖を切って自由になるところからがこの映画の主題である。人間世界のやり取りは如何にも陳腐である。犬たちは基地に軒下から入り込むと人間がいないことを知る。リキ、ジャック、アンコ、ジロは餌を求めて外に飛び出し風連のクマ、タロが合流する。犬はどんどん走って行く。だが氷原には餌は見当たらない。デリーがやって来て合流する。するとクラックから魚が出てくる。一匹が海に落ちて氷に押しつぶされる。デリー、享年6歳。まあ全部演出には違いないが。もう一匹死亡する。ゴロ享年6歳。

やがて5月になる。これから冬が訪れる。蜃気楼を見る犬たち。アザラシを発見する。5〜6匹で取り囲んでアザラシを仕留める。風連のクマはクラックの場所にとどまり他の犬はここから離れた昭和基地へと向かう。オーロラに怯えたジャックは走って逃げようとする。そのためにはぐれてしまった。

人間世界に戻ると潮田(高倉健)は大学を辞職し謝罪の旅に出る。犬の飼い主に頭を下げながら行脚してゆく。飼い主の姉(荻野目慶子)に罵られたがぐうの音も出ない。もう一人の犬係(渡瀬恒彦)は彼女(夏目雅子)と南極に行く行かないで揉めていたが結局翌年も二人の犬係は行く事になった。昭和基地へ戻るとそこにはタロとジロが居た。

ポケットアンプ9 (5)

再び取り掛かる。今度はK1056/J160を試してみる。やっているうちに実体配線図の間違いに気づいたので修正してやっと動作させることができた。

特性はこのようになった。まだまだ改良の余地がある。