東洋文庫 韃靼漂流記 (1647頃)

越前国坂井郡三国浦新保村の商人竹内藤右衛門らの松前貿易の船三隻が三国浦を出たのが寛永21年(1644年)4月1日のことである。佐渡島を出発したところ、5月10日からの暴風で船は流され人のいない山ばかりの処へ漂着した。小舟でやってきた現地人らと言葉が通じないながら交渉し人参のある場所へと案内されるがそれは罠だった。囲まれて弓矢で射殺され58人いた乗組員は15人になり俘虜となる。漂着地点は今の琿春あたりでそこから馬に乗り俘虜たちはまず満州族の都、今の瀋陽に連れて行かれる。そこで吟味された結果乗組員は盗賊ではなく漂流者と認定され客人扱いとなった。乗組員を殺した者達は棒叩きの刑を受ける。

都に20日滞在したのち北京へ連れて行かれる。そこでは家から食料から衣類布団まで支給され、また奉行の奥方に呼ばれ謡、小歌を披露し喜ばれた。翌年の5月帰国を訴え出て了承される。15名は馬に乗せられ100人程の大行列に守られて朝鮮国境まで送り届けられる。ここからは200人ほどの大行列で朝鮮の都まで行く。いろいろもてなしを受けながら朝鮮で年を越し翌年の1月7日に都を出立する。各地の大名のもてなしを受け3月17日対馬の鰐の浦に到着する。6月2日に大坂に着岸する。

本文の後半は乗組員らが見聞した事柄を聞き書いたものである。一部抜粋する。

一、韃靼の都より、大明の北京まで、道平に御座候。山有之所も御座候。道の幅七八間十間斗宛在之、結構に作り置候。道中の宿、日本の如く結構には無之候得共、大方よく候。三十五六日路の間、海辺を通り候事一日路程御座候。小川共は、御座候得共、船渡し程の川は無御座候。北京より前方に、とぐちよと申処に、幅弐町程の川有之。船橋を懸け申候。道筋の脇に、大明の居城いかほどにも御座候。日本の者共、北京へ参時分、韃靼より引越候男女、三十五六路の間、引も切不申候。

マークレビンソンの回路で弩級アンプを作る(5)

とりあえずこの回路で安定に動作した。電流値はこういう感じである。

シングルプッシュプルではほぼ完成だがこれからパラプッシュプルにしなくてはならない。

終段のみパラにした回路でアイドリングの振る舞いを見た。最初は同じだったのがみるみるシーソーのように変化する。これを選別だけで乗り切るなんてのは無謀に思える。が、面白そうなので後でやって見たい。

2019年若い人に贈る読書のすすめ

今年も若い人に贈る読書のすすめが発表されている。全部アマゾンの書評を読んだうえでこの4冊を注文することにした。但し「世界の終わりの天文台」は「渚にて」に、「大人のにほんご事典」は「読書する人だけがたどり着ける場所」に変えてある。

またまた事件パネル

MJのDCアンプシリーズの最近の記事はこうなっている。

2018年2、3月号の前二つ、後ろ二つのパワーアンプはNutubeハイブリッドなのでこれは純粋半導体アンプとして貴重な記事になっている。思うにパワーアンプならこの回路で古い順にSIT、MOS FET、UHC MOS、Sic MOSのアンプを作って比べて見ればアンプ作りの結論が出るのだと思う。

またこの号のFET フラットアンプも終段に2SK117、2SK215、3SK103のアンプを作り聴き比べれば結論が出る。

僕は一週間ほどエージングしてK117とSic MOSアンプは到底これらの素子の音には近づけないと結論づけた。