国連の定めた安全地帯であるスレブレニツァにイスラム系住民が集結した所を侵攻したセルビア人が虐殺した。その数8000人という。スレブレニツァはかつては温泉保養地として賑わっていた。そこで生まれ育ったハイラは結婚し一男をもうけるがこの内戦で夫と息子を失った。ハイラは14年前に避難先から戻って元の家で一人で暮らしている。今ではセルビア系とイスラム系の住民は店も別々で交わらない様にしているという。お互いに遺恨があるのだ。昔の同僚とも絶縁している。
トゥズラには避難したイスラム系住民がまだ暮らしている。ファティマ(62)は夫と離ればなれになったまま20年が経ったが最近遺骨と遺品が届けられた。ファティマはこの地で一生を終えるつもりである。
この事案の現況は委員会が作られ遺骨の捜索活動、地雷の撤去が進められているところであるがここでも住民同士の反目がある。セルビア系も3000人殺されたという事実がある。証言によるとイスラム系に首を切り落とされた者もいるという。
取材中ハイラの息子の遺骨の捜索現場に取材班は同行する。今回見つかった下顎骨はDNA鑑定に委ねられた。兄の遺骨の鑑定結果が出た妹が感想を述べる。人生のすべてを費やした、犯罪者を許すわけにはいかないと息巻く。
冒頭でボスニアの風景が出てくるが緑が多く住みやすい場所だ。こういう地域は古くから取り合いになりやすく統治機構が弱いと住み着いた住民同士でいざこざが起こる。片方がイスラム系だと行くところまで行く。まさに世界史のセオリー通りだ。