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BS ドキュメンタリー ボスニア紛争から20年 故郷の村で (2014)

    1992年に勃発したボスニア紛争は3年半続き内部で他民族の虐殺、暴行、強制収容が行われた。これはボスニア・ヘルツェゴヴィナの北西部の村ケブルヤニで起こった事を村人の証言から再構成する試みである。もう一方の当事者であるセルビア人の証言は取れていない。裁判でも無い限り彼らは黙して語らないのである。

   ケブルヤニの住民だったケマル・ペルヴァニッチが語る。ケブルヤニはイスラム教徒であるボシュニャク人の村である。周りの村にはセルビア人が住んでいた。ある日突然セルビア人が歩兵と戦車でケブルヤニの村を攻撃してきた。ケマルは捕えられオマルス強制収容所に入れられる。そこには当時ボシュニャク人が数千人入れられていたという。当時のニュース映像では収容されているボシュニャク人の様子と管理者であるセルビア人警察のコメントが紹介されていた。ニュースでは隠されていたがそこでは拷問を伴う尋問が行われていたという。   
 
    ケマルはかつての恩師に尋問される。ケマルにはそれがすごくそれが嫌だったようだ。20年後ケマルは恩師を訪ね当時のことを問いただす。恩師は逃げの弁明をするばかりだった。一方収容所では外国人ジャーナリストがやってくる様になると収容者への扱いが変わってくる。さらに5ヶ月後には生存者が解放される。ケマルは難民としてイギリスに送られたという。       

   ケマルの兄カシムはオランダに送られたがボスニアに強制送還された。今は農業をして生活している。セルビア人は最初は知らん顔をしていたが今では彼らから殺気を感じるという。 ケマルはイギリスから帰るつもりは無いらしい。
    
   ベシマは1998年に村に帰った時の惨状を語る。村には何も残っていなかったという。畑にはセルビア人が植えたトウモロコシが伸びていた。セルビア人が言うには空いていたので役立てたという。ベシマは息子が殺されている。
 
アゴとセカの家では襲撃の日、父と兄を残し全員が親戚の所へ逃げることになる。父と兄は拷問されて死亡した。 

    セロは収容所で拷問を受けた。受けた相手も覚えている。いまでも憎しみが込み上げてくるという。おそらくいずれ復讐するだろう。

   ジェキは2000年に村に帰って農業を営んでいた。誰かが野原にやって来て掘ったり埋めたりしているのを目撃する。そこには親戚の遺体が埋められていた。

    殺害された人々の名前と写真が載っている本も出版されている。3000人以上が殺害されたか行方不明になっているという。厳重な警戒の元かつての収容所だったオマルスカ鉱山でボシュニャク人の集会が開かれた。ジャーナリストは権力者の態度を非難し生還者のことを鳩に例える演説を行った。

   800人いたこの村の人口が今は50人になってしまった。民族浄化失敗の後は何が起こるのか。問題処理の目標が何処にあるのか誰もわかっていないようだ。