BS ドキュメンタリー 民族浄化を弁護した男 THE SERBIAN LAWYER(2014)

    1995年に起こったスレブレニツァでの虐殺の事後処理の話である。首謀者とされたカラジッチが逃亡の末捕まり2009年10月ハーグの国際裁判所で裁判にかけられる。これはその弁護人スラドイェビッチ氏に密着取材したドキュメンタリーである。

    ベオグラード出身のスラドイェビッチは国内の混乱を避けてオランダに移住しライデン大学に学び国際法修士号を得た。そしてミロシェビッチの弁護団に加わる機会を得た。まずオランダのメディアのインタビューを受けるがスラドイェビッチは厳しい質問に上手に受け答える。要するにプロパガンダを排した中立の立場を取りたいと言う。 

    スラドイェビッチの妻ティナも弁護士でスロベニア出身である。スロベニアは独立の際ユーゴスラビアの侵攻を受けたのでミロシェビッチを憎んでいる。だがティナはミロシェビッチの弁護団に加わった。この事で非難を受けることがある。しかしティナは弁護士は個人の権利を守るという仕事の他に真実は何かを明らかにするという使命があると言う。   
 
    1995年の第二次マルカレ虐殺という事件がある。サラエボのマルカレ市場が砲撃され市民40人が死亡した。セルビア人勢力の仕業とみなされている。スラドイェビッチは砲弾学の専門家の意見を聞く。現場の写真に写っている死体の矛盾点を指摘する。ボシュニャク人の自作自演の可能性も否定できない。

   カラジッチは大量虐殺の罪では無罪になり世論が驚いた。ボシュニャク人は怒りをあらわにする。次にカラジッチは自分の弁護人になり紛争時の行為は合法だと主張する。サラエボ包囲で1万人が死亡した事件についてカラジッチはプロパガンダだと主張するがスラドイェビッチは真実を知ろうとする。   

   スラドイェビッチは自らサラエボ入りし現場を見、証言を取る。砲撃により保育所とオリンピック施設が破壊され、スナイパーが市民を銃撃したという証言を聞く。セルビア人勢力とイスラム勢力が対峙していた銃痕の場所を見る。犠牲者の数の多さも真実を明らかにする障害になる。墓地の前に立ち遺族の話を聞く。息子はボシュニャク人に殺されたと言う。カラジッチが包囲しなければ多くがイスラム教徒に殺されていただろうという。この辺がこの事案の落としどころか。両方黒いというのが真実だろう。 

    スラドイェビッチは一人一人の人生に立ち戻って考える。事件の前は経済は
苦しかったが希望があった。若者は勉学、サッカー、デモで青春を燃焼させたがその後は内戦の激化と共に苦難の道を歩むことになる。友人と議論をするが素朴にカラジッチを憎む友人に対し両方の証言を聞いているスラドイェビッチは違う見方をする。これは職業病だという。これが身に付いてしまい夫婦仲も微妙になりティナとは別居になる。  

    スラドイェビッチは仕事の限界が見えたのか同僚とサッカーを楽しみプジョーを運転し和解した妻とスロベニアに住むことにした。将来はアルゼンチンに移住しホテルを経営するのが望みだと言う。   

  さて現実に戻るとミロシェビッチは獄死しカラジッチは禁錮40年の刑となった。これは国際世論、イスラム教徒、セルビア人すべてに配慮した判決だろう。さすがに無罪だと収拾がつかなくなる。スラドイェビッチのコメントが聞いてみたい。