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東洋文庫 A.ジーボルト 著 ジーボルト最後の日本旅行 (1902)

   ジーボルト父子は1859年オランダを立ち最後の日本旅行を試みる。日本を永久追放になっていたジーボルトだが陸軍将校として最後の任務を果たす事になったのである。日本が開国し状況が変化したのだ。ジーボルト63才、息子A.ジーボルト13才の時である。

   二人は陸路マルセイユに向かいここから東洋汽船会社の船でアレキサンドリアへ向かう。これはサービスの良い快適な船旅で途中騎士修道会の砦があるマルタ島に停泊している。アレキサンドリアから陸路でカイロへ向かい宿泊した後スエズで待機している汽船に乗船する。紅海を抜けイエメンのアデンに着く。A.ジーボルトはアデンの独特な風景に感銘を受けている。上陸し観光するがユダヤ人の商人からサルを買ってしまう。インド洋を航海しセイロン島のガルに至る。残念な事にセイロンは元オランダ領だったがイギリスに取られてしまったという経緯がある。ここでは毒蛇のショーや宝石などを見る。ココヤシの果汁を初めて飲んだのもここである。

   船はマラッカ海峡を通りシンガポールに到着する。ここは壮麗なホテル群と庭園のある素晴らしい都市でここでA.ジーボルトはカレーを食べている。いよいよオランダの本拠地バタビアに入りしばらく滞在する。父は貿易会社と総督府に顔を出し実務をこなす。バタビアを立ち上海に着く。ここでA.ジーボルトは発展した上海を目の当たりにするが暴徒が上海を総攻撃したという事件を見聞する。上海から日本への定期便は無いがたまたま見つけたイングランド号に乗船できた。船は南西諸島を過ぎ長崎港に入る。

   ジーボルトは丁寧な出迎えを受け奉行に謁見すると本蓮寺への滞在を許された。A.ジーボルトのここから見た長崎港についての記述がなかなかいいので写しておく。

   大小数百の白帆が穏やかな青い海面に生気を与えていたし、一方、丘の上には落葉樹や針葉樹があり、また竹藪のうす緑色の葉がそれに加わり、公園の樹木のように明暗があって、この景色は独特の魅力を持っているが、これは日本の植物群だけに見られるものである。陰鬱な熱帯植物とは違い、また私たちの祖国にあるような、同じ種類ばかりで嫌になってしまう森林の風景と比べて、季節ごとに変化して新しい美しさを見せる大庭園のように、日本の風景は、ゆたかな植物群の色彩が調和して目に映るのである。

   この後父子は横浜、江戸へ行く事になる。

(前編終)