映画 支那事変後方記録 上海 (1938)

  1937年10月頃の上海市街。第二次上海事変の後である。砲撃のため建物の屋根が無くなっている。戦闘が行われたのは支那街と日本人街で租界は無傷のようだ。

黄浦江に浮かんでいる米国の軍艦、共同租界が映し出される。ガーデンブリッジ、ブロードウェイマンション、アスターハウスホテル、ソビエト領事館、日本領事館が見える。英国租界も以前と変わりない様子を見せる。

  支那街は反日勢力が多く至る所に落書きがある。日本人街では小学生が登校している。日本の軍人が警備に当たっている。児童数は激減している。建物には迫撃砲と空襲による被害が見られる。

中国軍捕虜が映し出される。整列し元気そうである。食事風景が映し出される。軍の病院、のどかな兵舎の風景が映し出される。戦車の洗車をしている。海軍特別陸戦隊の本拠地は10名の戦死者を出したがほぼ無傷で残っている。11月5日海軍が杭州湾上陸に成功したという発表があった。航空部隊の南京空襲の談話がある。無錫の偵察と爆撃の報告がある。

  鹿児島の連隊がおはら節を歌う。此の後前線へ出陣した。南京攻略だろうか。病院船が内地へ向かう。入れ違いに日本人を乗せた船が入ってくる。内地から戻ってきたのだ。日本人街がだんだん賑やかになる。支那街も水道が復旧する。やはり人が多い。日本軍が米を配給している。上海郊外の日の丸村。日本の軍人と中国の子供が笑顔で交流している。確かに治安は良くなったようだが彼らが心から喜んでいるかどうかはこれでは分からない。

  この映画はプロパガンダ用のものだが、重要なのはドイツ軍事顧問がトーチカを作らせたり戦闘の助言をしていた事。これで日本側の死者数が増えた。それにこれは中国側が上海の日本人町と軍を殲滅しようとして起こった全面戦争だという事だろう。この記録のお蔭でこのことがかなりわかる。