映画 ピョンヤンダイアリー 1994ー1997(1997)

   映画祭に招待されたノルウェー人の女性映画監督スールン・ホアスが北朝鮮の当時の姿を映像に収めたドキュメンタリーである。

  1996年9月彼女は北京から列車で平壌に入る。1994年の万寿台の丘での追悼式の映像が出てくる。この時は金日成が死去してまだ三ヶ月であり暗い雰囲気が漂う。次いで1996年9月9日今回の映画祭の開幕の様子が映し出される。セレモニーにダンスもあり雰囲気は明るい。参加した市民に質問を投げかけるが素直に答えてくれる。The Nation and Destineyの様な朝鮮戦争を扱ったプロパガンダ作品が多い様である。監督、俳優たちにインタビューする。若くて可愛い平壌大学映画演劇学科の学生も出演している。主演女優が楊枝を噛みながらインタビューに答えていた。画家にインタビューする。水彩画風の作品には天池が描かれていた。

  チャーター機白頭山へ行く。白頭山は革命の聖地だが観光スポットになっている。頂上にある天池は青い水を湛えていた。真ん中に中国との国境線が引かれている。革命服を着た青年団が見学に来ていた。麓に下って行くと三池淵に着く。ここには革命の記念碑と観光設備がある。美人ガイドがいて監督が質問攻めにした。ホテルに着くと食事はキノコとジャガイモだった。観光ルートの道には多くのアパートが建っている。監督が路地を撮影していると制止してくる男がいる。各家にはオンドルの煙突がある。

  続いて開城の非武装地帯へ行く。板門店は外国人専用の観光スポットになっている。軍人さんが監督の質問に饒舌に答えている。監督は板門店へは韓国側から来たことがある。韓国側の雰囲気の方がピリピリしていると感じたと監督は述べている。

  1997年3月ソウルでの脱北者のインタビューが出てくる。脱北者北朝鮮の人々の忍耐強さを語る。ま脱北したのは忍耐の限界を越えたからだが。このようにこのビデオでは1994年と1997年の短い映像が差し挟まれてでてくる。

農村地帯を行くと洪水で損壊した橋が多く見受けられた。洪水後は食料が不足し餓死者も出ているが闇市とリンチが横行しているという。大同江でボートに乗り案内の若者と話す。若者は英語が達者で質問に率直に答えてくれる。彼には家族がいて、もうすぐ子が生まれるという。

  1996年10月監督は北京に向かう列車に乗り北朝鮮を後にした。車窓の風景を見ながら監督は北朝鮮の行く末を色々と妄想している。もうあれから20年経つ。