東洋文庫 清河八郎 西遊草 (1855)

  著者の清河八郎(1830ー1863)は庄内藩の酒造家の長男として生まれ漢籍を学び始めるとたちまち我がものとし江戸へ出て昌平黌にまで進む。その傍ら北辰一刀流千葉周作の門下になり剣術も磨く。八郎は25歳の時神田三河町に塾を開くが翌月火事により焼けてしまう。郷里に帰った八郎は母を連れて伊勢詣でをする考えが湧き実行に移したのだった。1855年3月19日八郎らは清川を立ち鶴岡、直江津善光寺、中津川、名古屋、伊勢神宮、奈良、京都、天の橋立、大阪、鞆、厳島神社、琴平、京都と旅してこの後は東海道奥州街道を通って9月10日清川に帰り着いた。この時の旅の様子を克明に記した日記がこの本である。

  孝行の為の旅行とはいえいろいろ考える所があり鬱々としていた八郎も越後路を行くにつれて気分が晴れてきた様で旅を楽しむ気持ちになる。初めて見る絶景には素直に感動している。特に有馬温泉から渓谷を下って行く時の絶景を賛賞している。人や土地に対する観察眼もなかなかの物で八郎の教養が本物である事を伺わせる。その後の八郎は尊皇攘夷の急先鋒として活躍したが幕府の放った刺客によって暗殺された。