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東洋文庫 蕃談 (1849)

  1838年(天保9年)4月に能登を出発した長者丸は松前で昆布を積み込んだのち強風にあおられ金華山の方へ流される(1839年11月)。ついには太平洋まで流され漂流するが米国の捕鯨船に救助され(1840年4月)当時のサンドイッチ諸島(ハワイ)へ連れて行かれる。10名の船員のうち漂流中に3名が死亡し船頭の平四郎もハワイで病死する。残った次郎吉らはハワイで便乗できる船を待ちながら接待を受けたり製糖の労役をしたりして待っていたが一向に米国の軍艦がやって来ず結局イギリスの商船でカムチャッカに行くことになる(1840年7月)。カムチャッカにはロシアの基地があり兵舎に寝泊まりする。食事は大変粗末なもので閉口する。次に送られたところはオホーツクでここは交易の拠点であり物資は豊富だった(1841年7月)。ここの長官はゴローニンの甥であると言う。ここから日本へ行く交易船があるのだが荷物が優先され結局ロシアの軍艦でアラスカのシトカへ送られる(1842年8月)。ここには要塞、役所、倉庫があり長官(ロシア・アメリカ会社支配人)がいる。ここで中央からの指令を待ちついには択捉島まで送り届けられるのである(1843年5月)。

  蕃談は記憶力に優れた次郎吉を幕府が取り調べ供述を記録したものである。次郎吉には絵心もあり民俗学的研究の書のようでもある。