東洋文庫 中国の布教と迫害 イエズス会士書簡集 (1704〜1770)

  第一書簡集〜第三書簡集においてイエズス会宣教師ゴザニ師が報告する。ここ開封には挑筋教と呼ばれているユダヤ教徒の集団がいる。師は彼らに接近しシナゴーグを見せてもらう。幕舎、大箱にはヘブライ語で書かれた書物があり、モーゼの座がある。広間があり香炉が置かれている。客間にはシナゴーグの長がいる。彼にモーゼの五書のことを聞く。彼らは旧約の多くの儀式をいまでも守っている。割礼、無酵パン、踰越祭、安息日などである。彼らの祖先は漢の時代にペルシアからやって来たという。1462年の黄河の水害で流され、1642年には李自成によって包囲されシナゴーグは滅び書も失われたという。今のシナゴーグはシナの役人によって再建されたものである。

  第五書簡集でバランナン師が報告したのは満州語で書かれた教訓集である。本文を訳出して紹介している。張伯行の閨中宝鑑だろうと推測されている。

  第六書簡集ではバボリエ師が杭州までの旅を報告する。見つかるとマカオ送りになるため棺桶に入って移動する。無事たどり着きペイショト師と面会する。

  第二十三書簡まであるが後半になると北京、成都における迫害と具体的な拷問の方法が書かれるようになってくる。中国における布教は厳しいようだ。