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東洋文庫 南島雑話 幕末奄美民俗誌 (1855)

  奄美に遠島となった薩摩藩士名越左源太が五年間滞島した折に記した絵入り民俗誌である。冒頭には享保十二年の検地の石高が「大島私考」より引き写してある。一万六千七百七十八石六斗一升一合四夕九才とある。畑作も行われており大麦小麦も徴税するようだ。「耕芸の事」の項で稲を刈る時の一把、一タバリという呼称は薩摩藩には無いという。これについては以下の様な考察がある。

  日本上古の言葉、吾藩今通言なくて、此島今通ずる事は数多あり。平家没落の人衆、此島に渡りしより人倫の道稍開けて九族を分かち、五穀を栽て、作職を励しと云ふ。

  平家が来た後は姥捨の風習が無くなったという言い伝えがある。

  作物の事。蕎麦は出来ないが粟は良く出来ると云う。山を切り開いて畑作をする。唐芋、粟、大根、蕪、黍、赤ゴシヤ、里芋、藍、生姜、煙草、砂糖黍がよく出来る。唐芋(甘藷)については特に詳しく記されている。

  衣類の事。婦人は皆織物をする。芭蕉から採った綿で織り藍で紺に染める。養蚕も盛んとは言えないが行われている。此辺の島では芭蕉が多く自生する。皮を剥いで灰汁で煮て竹でしごけば繊維が採れる。

  続いて住居、食べ物についての記述があるが略す。