東洋文庫 南蛮寺興廃記 ・ 妙貞問答(1868)

  「南蛮寺興廃記」は作者不詳で江戸時代初期に成立したとされ種本は「切支丹根元記」とされている。1868年には反キリスト教の僧侶、杞憂道人によって出版された。本書はその現代語訳である。

  九州肥前に来着した南蛮船に乗っていたウルガバテレン(オルガンティーノ)が信長の援助を受け京都四条に南蛮寺を建てて布教を始める所から説かれ、秀吉によって根絶されるまでが描かれている。ちょうどフロイスの記述を日本人の側から見た形となっている。
   本書では信長の前で南禅寺の印長老とフルコムが宗論を行い決着がつかなかったとあるが注釈には是は史実ではなく1569年の朝山日乗とフロイスの論争に類似するとある。また秀吉の頃、仏教側の柏翁居士と切支丹側の梅庵(ハビアンという日本人)の間で宗論を闘わせ仏教側が勝ったことが書かれているが注釈ではこれはフィクションで実際は切支丹側が勝利したとある。だが読んだ印象では禅宗側がキリスト教の教理の矛盾を突きキリスト教側が返答に窮したように見える。

  また伏見城の秀吉に呼ばれた堺のバテレン医師が妖術を使い皆を驚かせたが秀吉の不興を買い処刑されたとある。

  「妙貞問答」は1605年にハビアンが記したキリスト教の教理を説いた本である。ハビアンはその後棄教し「破堤宇子(1620)」という真逆の本を著した。どちらも現代語訳で本書に収録されている。