郁達夫 沈淪 (1921)

  兄夫婦が政府命令で日本に留学する事になり当時自宅勉強中だった達夫は同行して第一高等学校に入学する。予科の一年を終え兄の勧めで次は医科に三年行くことになる。達夫は美人が多いという名古屋の第八高等学校を選び汽車に乗る。二十才の達夫は車窓から昏れなずむ景色を見ながら今の心境を清教徒に例えたりハイネの詩集を開いたりする。やがて夜が明けるとそこは名古屋だった。駅に降り立った達夫は二本線の制帽を冠った学生に声をかける。学生は八高まで同行してくれた。鶴舞公園まで市電で行きそこから8キロほど田園地帯を歩いた。すでに下宿先には荷物が届いており達夫はこれからの下宿生活に何と無く淡い期待を抱くのである。

  授業が始まって半月になろうとする頃達夫はもう孤独に陥っていた。学友から孤立し中国人留学生との仲も険悪になり唯一の友は道を歩くときの青空や薫風、そしてスミレの花といったものになっていた。だが二十歳の達夫の性欲は旺盛である。自慰に耽ったり大家の娘の入浴を偶然覗いたりして性欲が高まった達夫はこれではいけないと思いその下宿を飛び出して丘の上の梅園にある一軒家に移り住む事にする。丘からは熱田神宮と広い濃尾平野が一望できたがとても淋しい所である。その頃の達夫は兄との仲も険悪になっており神経症を患いながら金もなく女もいない仙人のような生活を送っていた。

  或る日達夫は自暴自棄になり市電に飛び乗り町へと向かう。市電を乗り継いで港まで行くと料亭の様な所がありフラフラと入ってしまう。料理とお酒が出て女を抱けるような処と達夫は承知している。二階の部屋に案内され緊張している達夫は仲居に発情するのだが顔を赧めて酒をどんどん飲むことしか出来ない。酔いつぶれた達夫は眼覚めると布団の中にいた。女を抱くのは諦めて勘定を聞くととても払える額ではなかった。達夫は二円だけ払って逃げるようにその場を去って行ったのである。自分が異国でこんなに恥ずかしい思いをするのは故国の中国が弱いからだ。ああ故国よ何とか強くなってくれと達夫は慨嘆する。達夫は兄との確執から文科に転向し結局名古屋には四年居ることになった。

  以上がこの小説が書かれた背景と要約である。身も蓋もない様な内容だが実際の訳文は文藝的にとても素晴らしい。日本の私小説よりも味わい深いものがある。アジア近代文学の最高峰と言えるだろう。