東洋文庫 江戸繁盛記 寺門静軒著(1832)

  病気になった著者は病臥中読書をするがどうにも飽き足らず繁栄した江戸の事物を後世に書き残そうと考えた。以下の記事には今迄の日本には無かった珍しい事物が数多く書かれている。数点の要約を記す。

相撲
  江戸においては寛永元年に勧進相撲が行われだんだん隆盛に至ったという。女相撲、盲相撲なども行われる様になるがその後禁止された。冒頭に取組の様子が描写されているが少々観念的な記述である。

吉原
  京都、駿府、奈良から娼家が江戸に移って来てその後吉原に統合されたと言う。二階建ての楼館が立ち並び3000人の娼伎が働いていたと言う。泊まりの客が娼婦とトラブルになったエピソードが書かれている。著者は貧乏なので人から聞いた話だろう。

戯場(芝居)
  歌舞伎は白拍子が元であるが江戸においては寛永元年猿若勘三郎が勅許を得て日本橋に戯場を開いたのが始まりである。続いて都座、市村座山村座ができる。山村座は絵島生島事件を起こし取り潰しになった。酒呑童子七福神、猩々の舞の演目が名前だけ紹介されている。また人気演目だった仮名手本忠臣蔵の一場面が紹介されている。

千人会
  富くじのことである。谷中の感応寺、目黒の泰叡山、湯島の菅公廟が有名である。箱に入った札を錐で突いて当たりくじを選ぶ。当たりは百両が相場である。寺社奉行からの検使立会いのもと般若心経が読経されクジ引きが行われる。興奮と混乱が巻き起こる様子が書かれている。

金龍山浅草寺
当時の浅草寺は広大な敷地に十二の子院を有する本格的な寺院で、雷神門へ続く参道の賑わいは当時も相当なものであった。名物は雷おこしと金龍山餅である。見世物小屋の並ぶ奥山について言及している。

山鯨
  猪の事である。猪の肉の鍋料理を食べさせる処が江戸には一ヶ所だけある。古来獣食は禁じられており薬食としてのみ認められていると言う。近年は猪の肉も高価となっていて鰻に匹敵するという。美味で栄養豊富だが身が穢れると言って食べない人も多い。著者は役立たずの自分は願わくば生まれ変わって獣肉となり人々の役に立ちたいと言い、もし人に生まれたらば医者になり人々に尽くしたいと述べている。