BSドキュメンタリー アトミック・ガールズ 〜米秘密都市 英雄と呼ばれた女たち〜 (2015)

  テネシー州在住のルース・ハドルストン(90)とその家族を密着取材する。彼女は第二次世界大戦中に多くの女性とともに原爆の材料の濃縮ウラン製造に関わっていた。彼女らはアトミック・ガールズと呼ばれている。

  ひ孫のベル・ヘイスティ(13)は母のミスティ、兄のルークとジョージア州に住んでいる。家族でルースを訪問する。テネシー州オークリッジに行くと秘密都市祭りが催されていた。ルースの長男ラニーがトロンボーンを演奏している。そこで戦争ショーを見物する。ラニーはオークリッジが戦争を終わらせたと語る。ビジターセンターに行くと濃縮プラントで働く女性達の写真があった。リトルボーイの写真もある。

  ルースの家に到着する。町の博物館には装置があるという。アメリカ科学・エネルギー博物館を四人で訪れる。電流計とダイアルが並んでいる手動の装置である。元陸軍特別工兵部隊のマーチン・スキナー(92)が挨拶に来て解説する。天然ウランからウラン235を強力な電磁力で分離する仕組みである。この装置が1200台使われた。

  1942年に原爆の開発が始まった。その拠点がテネシー州に作られる。アパラチア山脈に守られ水力発電がある。ここに全米から高校卒業後の女性達が集められた。彼女らは操作法を教えるとたちまち習熟したという。高い時給で3万人を集め24時間体制で稼働した。

  19歳だったルースは1944年8月この工場に就職する。町にはプレハブ住宅、見ざる聞かざる言わざるの看板があり、ルースは疑問を感じたが黙っていたという。ネル・フィリップス(92)は秘密を洩らした者が憲兵に連れて行かれのを見たと話す。バージニア・コールマン(92)は娯楽設備の充実が若者を虜にしていたという。1日の濃縮ウランの回収量は数百グラムであると言う。原子爆弾には数十キロの量が必要である。ついにある日広島に原子爆弾が投下され日本の戦力を失わせたという放送が流れる。ルースは爆弾を作っていた事をこの時知ることになる。原爆投下からまもなくしてプラントは閉鎖された。

  かつてのアトミック・ガールズたちは多くの米国人の命を救ったと誇らしく語る。またドイツとの開発競争についても言及する。ベルとルークは再び博物館を訪ねて広島の惨状を知ろうとする。写真を見て複雑な感情を抱く。終戦後ルースは復員した婚約者と結婚する。衛生兵として従軍していた夫は精神を病んでいたが57歳の時心臓発作で死去する。子育てを終えたルースは大学に入り卒業後教員として働き始める。原爆の事は誰にも語らなかったという。

  ベルらは少し観光する。秘密施設K–25までの路線は今は観光列車になっている。建物は一昨年までに全て撤去されている。訪問を終えてベルらは帰っていった。ルースは教え子たちと会い今まで話したことのない秘密施設の話をした。教え子たちもすでに老人である。ベルは将来広島を訪問し生き残った人の話を聞きたいという。K–25の話はこれで終わりだが米軍には今でもY–12という秘密施設があるという。