BSドキュメンタリー 君とぼく (2016)

「オーストラリア7年ごとの記録」風に書いてみる。

  バーニー7歳。東海岸の町ソーテルに母、姉二人と暮らしている。父親と母親は共に教師だがすでに離婚している。顔なじみの友人たちと元気に暮らしていた。

21歳。プロサーファーを目指しながらピザ屋で働いている。だが或る日友人の運転する車に乗っている時、猛スピードで反対車線の木に激突しシートに挟まれた。病院に運ばれたが両足と片腕の麻痺が残った。2ヶ月後リハビリを開始する。誕生パーティが開かれる。この時はまだ元気だった。「人の心にはものすごい力があって必ずできると信じることが回復への力になるんです。僕は回復してみせる。イェーイ。」と語るビデオが残っている。

  26歳。バーニーは医者の言った通りうつ状態になる。このような人が必ず通る道だという。生活は荒れ酒浸りになっていた。友人に頼んで海に連れて言ってもらう。友人の助けでサーフィンを試みる。まあ何とか波に乗ることができた。カスタムメイドのサーフボードも作ってもらった。プロサーファーの友人もできる。或る日パブで飲んでいると浅黒い肌の女性が座っていた。彼女がケイトである。ケイトの母は10代の頃トンガで身ごもりオーストラリアに帰ってきた。母は幼馴染と結婚しカウラという町で一家は暮らす。

  オーストラリア独特の白人社会でいじめにあっていたケイトは14歳から素行が不良になる。16歳になった時リンチを受ける。自業自得と観念したケイトは両親に自立を申し出る。本人は友人とシドニーで暮らしたいと言ったが両親の提案でコクスハーバーの伯父の家に行くことになる。そこでバーニーと出会ったのである。バーニーとケイトはすぐ仲良くなり3ヶ月後には同棲を始める。

30歳。ハワイでより高いレベルの訓練を受ける。少し進歩する。バーニーの目標は車椅子なしで生活することである。今度はアメリカのプロジェクトウォークという所で訓練を受ける。エリック・ハーネスが訓練の方法を語る。第五段階まで行くと歩行器での訓練になる。バーニーは腰の筋肉がまだ弱いようだ。

  ケイトはアメリカで歌手を目指す。ピアノを買い曲を作りライブハウスで飛び入りで歌う。ケイトは明るく行動的である。メジャーの試合で国歌を歌う機会も得る。その時バーニーにプロポーズされる。バーニーの次の目標は立って結婚式を挙げることである。ビザが切れて二人はオーストラリアに帰国する。

  ニューロフィジクスのトレーナーのケンが語る。心の状態が身体の能力を左右すると言う。子供のようなまっさらな心で臨めと言う。極限まで身体を追い込むとブルブルするようになる。足に少し感覚が戻ってきた。トレーナーの勧めで事故現場を訪れて当時を思い出す。病院までの記憶は全く失われていた。

  結婚式の58日前バーニーは腎臓結石で苦しんでいた。膀胱炎と高血圧もある。結石は巨大なので二回の手術を受けることになる。ケイトは動揺している。手術を終え家に帰るとバーニーは戦う力を失っていた。嘆きの言葉を涙で語るバーニー。プロサーファーのミックがバーニーを訪問する。バーニーはもう一度自分も頑張りたいと立ち上がる。いよいよ結婚式が挙げられる。バーニーが車椅子で登場。両脇を友人に抱えられてケイトと式場の中央に立つ。

  ケイトはファーストアルバムをリリース。バーニーは治療研究の為の募金活動を行なっているというテロップが出て終わった。再現フィルムが多いのでフィクションに近いドキュメンタリーだ。二人は突っ張って突っ張って生きているという印象がある。こんな場合でも無理せず穏やかに生きる例を提示する方が参考になると思う。