東洋文庫 江南春 青木正児 (1922)

表題作は京都帝大文科出身の著書が大正12年の仙台赴任中に記した中国旅行記である。まず冒頭で杭州の西湖を訪れた時の印象を綴っている。一人でやってきて西洋風の精華旅館に滞在し喧騒の中散策し水と柳を賞でる。京都、奈良とは違う若やいだ和らかさがあると言う。ここも西洋化が進み俗悪化されつつあるが著書は楽観的に見ている。

三泊して夜散策に出る。中華料理と紹興酒で腹を満たした著者はやや朦朧とした頭で支那芝居の強烈な鑼鼓の音に親しみを覚えている。人通りの少ない裏町では三絃子の爪弾きが聴こえてくる。こちらは亡国の哀音であるという。湖畔の鳳舞台という芝居小屋に入り芸妓の歌声を聴いてみても意味も節回しもチンプンカンプンであり美人かどうかも一向にわからず、新劇なる物を見ると馬鹿げており愚劣と思われた。旧劇、武戯と見て行くとこちらは想像力がかきたてられ多少良かったと言う。

西湖の名物も購入する。茶葉一罐と風栗、桃の核を買って帰る。桃の核と思ったものは実は胡桃であった。露店で金冬心の南画を見つけて喜んで買って帰る。

画家に勧められて蘇州に行ってみる。風景にはさほど感興が湧かなかったが墓場を散歩するのが変化があり楽しいという。著者は霊魂を信じていないという。運河まで行き船の往来を眺める。船には家庭的人員が備わっている。著者の方を見て洋先生(ヤンシンサン)と囁いている。肉饅頭とカステラを頬張りながら郊外に向かうといつの間にか城内に入ってしまった。迷い込んでいるうちに店に入り小さな芝居人形と白檀を買う。沈香を求めたが得られなかった。城門を出ると鉄道のレールがあった。

蘇州を立ち南京に足を延ばす。俥で麓まで乗り付け北極閣に登臨する。南京では上海、杭州と違い僧侶からお金を要求されることが少ない。道教の道士がいたが文字が読めないらしい。雨花台に行くと少年少女らが名物の小石を売っていた。著者は十倍ものふっかけに驚くが帰ろうとすると20分の1にまけてくれた。この後も旅は続き著者は正直で親しみやすい文体で各地の印象を記している。例えば著者は支那学を専門とする学究であるが、支那の音楽と手洟をかみ散らし唾を吐き散らす支那人はどうも好きになれなかったと書いている。