映画 千と千尋の神隠し (2001)

2001年の興行収入一位の308億を記録している。ジブリがついに大ブレイクした。劇場版ポケットモンスター セレヴィ峠を越えた遭遇/ピカチュウのドキドキかくれんぼ 39億は今回見ない。

千尋が湯屋へ迷い込むまでの経緯は手が込んでいるが金銭に目が眩んだ両親が娘を湯屋に売ったのと同じである。湯屋は神々たちの為に設けられた娯楽センターのようなもので夜だけ営業する。社長は魔法使いの湯婆婆で嫌みを言いつつ千尋を雇ってくれる。湯婆婆は黒柳徹子をモチーフとしたものであり千尋源氏名を千と決める。美術は和漢折衷、一部洋風でありイモリの黒焼きのようなオヤジしか知らないようなアイテムが登場する。オクサレ様が客としてきた時は千が奮闘しヘドロを洗い流したので喜んで帰って行った。千のことを導いてくれるのはハクという湯婆婆の弟子である。カオナシはコミュ障のストーカーで千に粘着して大暴れするが最後は大人しくなる。印鑑を盗んだことで制裁を受け瀕死の重傷となったハクを救う為に千は海原電鉄に乗り銭婆が住む沼の底駅で下車する。千は銭婆と交渉し印鑑を返した後ハクにかかっている呪詛を解いてもらう。湯婆婆とも交渉して両親にかけられた呪詛も何とか解いてもらった千は元気になったハクに導かれて人間世界へ帰って行った。ハクも後から帰るつもりという。

まあこの様に特異な美術とキャラクターで高い評価を受けた作品だが話の展開がお膳立てに沿って無駄なく進んで行くところがどうも気になるのである。現実に未知の領域を行く時はブツッと切れたり失敗を重ねたり周囲から反対されたりして進んで行くものでとても時間と手間がかかるものである。フランス映画にはその様なリアリティーを持つ作品があるので面白い。最初に湯婆婆が喝破した様に千の力量ではとても人間世界へ帰ることなど不可能なのが現実と思う。