吉田秀和 名曲のたのしみ 2012年4月28日放送分

今日は四月の試聴室の番ですがプロコフィエフのピアノコンチェルトを二曲聴こうと思います。ラフマニノフの作品1はピアノコンチェルトの第1番でした。でこれは彼がまだモスクワの音楽学校のピアノ科と作曲科の生徒だった頃に書かれた作品でした。ロシアからソ連にかけての音楽界では優れた作曲家であると同時にピアノの並外れた名手である事そんなに珍しい事では無かったのでしょうかねえ。というのは実はこのプロコフィエフの輝かしいデビューとは似たような形でセルゲイ・ラフマニノフも出て来てるんですよね。この人は1891年の19世紀のもう終わりに生まれて1953年まで第二次大戦を生き延びた人ですからラフマニノフに比べればずっとスタートも30年くらい後の次の世代に属する人と言ってもいいんでしょうけれどもプロコフィエフラフマニノフとおんなじ様にピアノコンチェルトを5曲書いたし第1番は音楽学校の生徒だった頃に書いています。もっとも彼はプロコフィエフはペティアブルクの音楽院の卒業生でありましたけれどね。そしてこれは1912年に書かれています。まずピアノコンチェルト第1番変ニ長調作品10これから聴きましょう。マルタ・アルゲリッチのピアノ独奏シャルル・デュトワの指揮でモントリオールシンフォニックオーケストラの演奏です。〜音楽〜

今聴いたのは云々。これは1912年にモスクワで作曲家自身のソロでもって初演されたんですが聴衆の反応ってのは賛否両論真っ二つに割れたもんだったらしいですね。プロコフィエフの友達のミヤスコフスキーなんかはこれはピアノコンチェルト史上最高に独創的な作品だと持ち上げて反対派の方はこれはまるでもうあたりまえじゃ無い人の作品みたいなもんで音楽とはとても言えるもんじゃ無いと言って酷評しそれでプロコフィエフは一躍有名人になったらしいですね。とこの後4曲、全部で5曲のピアノコンチェルトを書いてますけれども彼自身もピアノが大変な名手だったもんで初演は大抵自分でやってますね。でその中で一番成功したのは第3番ピアノコンチェルト。少なくともこれが今日に至るまで一番有名で一番良く演奏されるものです。これを聴きましょう。作品26ピアノコンチェルト第3番ハ長調ブルターニュに滞在していた1921年に完成しています。非常にアグレッシブな音はするけれども明快な痛快なシンフォニックなピアノ協奏曲ですよね。これも同じくマルタ・アルゲリッチの独奏シャルル・デュトワ指揮モントリオールのシンフォニックオーケストラの演奏です。〜音楽〜

今聴いたのは云々。まだ時間がちょっとあるのでプロコフィエフのバレエの音楽シンデレラからの小品ワルツ、これ聴きましょう。作品102の1ということになっていますけど。スヴャトスラフ・リヒテルの演奏です。〜音楽〜

今日は云々を聴きました。それじゃあ又、さよなら。

名曲のたのしみ、お話しは吉田秀和さんでした。