東洋文庫 大旅行記4 イブン・バットゥータ (1355)

カスピ海北岸の町サラーから10日間の旅を続けてサラージュークの町に着く。この町で弱った馬を売りラクダを買う。アラバを引かせるのである。この先は牧草の少ない荒地なので30日間昼夜22時間走り続ける。著者らもドゥーキーを煮立てた粥に干し肉と乳をかけたものをすする程度の食事である。なお著者のアラバには三人の女奴隷が乗っている。この荒地を横断するとフワーリズムに到着した。そこはトルコ人たちの都市のなかでも規模、壮大さ、美麗さや快適さのいずれの点でも一番の町である。町にはいくつもの立派な市場があり、広々とした街路、建物も多く、極上の品々がある。町の住民の数が余りにも多いので、町が揺れ動く如くまるで海の大波の如く彼らの人波で溢れている。この町はスルタン・ウーズバクの支配下にあり、彼は町にクトールドゥムールと呼ばれる大総督を置いている。クトール・ドゥムールは他ならぬ、この高等学院とそれに付属する施設を建設した人物である。モスクは彼の妻が建設した。病院が一つありシリア人のサフユーニーという医者がいる。

準備をしてブハラに旅立つ。18日行程の砂礫の地を行くことになる。数頭のラクダと二連の背籠を購入した。4日目にカートという町に着く。郊外にある湖畔で野営する。湖は凍結していた。法官と知事と面会に来て宴席が設けられた。それから6日目にワブカナという町に着く。ここにはアッルーという珍しい果物がある。ここからブハラまでは1日の行程でオアシスが続いている。ブハラはかつてはマーワランナフルの中心都市であったがタタール人のチンギスに破壊され今では面影はない。ブハラを立ちウッディーン・タルマシーリーンの軍営地に向かう。タルマシーリーンはここチャガタイ・ハーン国のスルタンである。ここで法学者、スルタンの代理官と面会したあとサマルカンドに向けて出発する。サマルカンドは規模の大きい壮麗な都市である。川べりには農園があり食料や果物も多いが立派な宮殿は消え去り町は廃墟となっている。サマルカンドではサドル・ジャハーンという法官と面会している。

サマルカンドを出発しナサフという町を通過、ティルミズという町に到着する。ここは規模の大きな町で食肉とミルクが豊富である。ここもチンギスに破壊されたがここから2マイルのところに新市街が建設されている。アム川を越えてホラサーン地方に入り砂漠と砂礫の地を行くとバルフに到着した。ここもかつては壮麗な都市だったが今では無住の地となっている。次に到着したのはヘラートである。ホラサーンの4大都市のうちヘラートとニーシャブールは賑わっているがマルウとバルフは荒廃している。

それからサフラス、ザーワと進んでニーシャブールに到着する。ニーシャブールには立派な市場と高等学院があり大勢の学徒がコーランや法学を学んでいる。また絹織物が作られておりインドに輸出されている。それからビスタームに到着しここではザーウィアに宿泊する。ハンドハイ道を経由してクンドゥース、バグラーンに向かう。この辺は農園や河川がある。クンドゥースではラクダや馬に牧草を食わせるため40日滞在した。バグラーンを出発しアンダルという場所を通過し、とある村に宿泊する。ここからいよいよヒンドゥークーシュ山脈越えである。雪の中を慎重に丸一日進みバンジュ・ヒールという場所に泊まった。バルワンに到着しアミール・ブルンタイと面会する。ジャルフの村を通ってガズナに到着する。ガズナは今は廃墟になっており郊外に天幕を張り野営する。

カーブルに到着する。ここは過去において壮麗な町があったが、今ではアフガーンと呼ばれる非アラブ人たちの集団が住む寒村となっている。彼らは山岳地帯や隘路を占有し、強大な勢力を持っており大部分は盗賊連中である。クラマーシュに進む。そこは二つの山の間にある砦で、アフガーン達が略奪を行っている。通る時に戦いがあったが矢を浴びせると彼らは退散した。シュシュナガールに一泊しここから大砂漠地帯に入る。15日の行程を経てインダス川のほとりのバンジュ・アーブに着いた。