映画 王様と私 (1956)

緞帳の図柄とともに序曲、間奏曲が奏でられるという形式であり二幕物のオペラの雰囲気が味わえる。この頃の映画にはよくある方式である。

シャム国王ラーマ4世ユル・ブリンナー)は開明的な君主で子弟の教育のため英国より家庭教師アンナ(デボラ・カー)を招いた。開明的とは言っても国王に対する拝跪礼や妻の多さなどが英国人には非文明的と映っている。未亡人のアンナが息子とともにバンコクに着くと早速約束が破られる。契約では月給20ポンドと一軒の家が与えられるはずが王宮に住めと言う。アンナは国王に直訴するが却下された。

アンナが子供らに英語の歌(埴生の宿)を教えていると国王がやってきて「うるさい。当てつけか。」と文句を言ってきた。アンナは一歩も引き下がらず国王をやりこめる。ある日英国の外交官を招いて晩餐会が開かれる事になった。アンナは王妃達のドレスを用意する。当日国王が外交官にドレスを着た王妃達を紹介すると彼女らは西洋人の髭とメガネを見て驚き一目散に逃げてゆく。皆が食卓に着くと挨拶の後余興としてシャムの舞踊が披露される。お題は「アンクルトムの小屋」でナレーションと踊りで構成されており奴隷が逃亡し追いかける王様達が川で溺れ死ぬという話でラーマ4世もこれにはカチンときた。

晩餐会が終わり残されたラーマ4世とアンナは踊ろうという事になりShall we dance?という曲を凄い勢いで一緒に踊る。その後口論から国王と仲違いをしたアンナは帰国する事になりショックを受けた国王は引きこもりになり死去するという話である。

明治維新の10年前頃の実話を元にしたミュージカル映画である。