ETV特集 佐藤さんとサンくん~難民と歩む あかつきの村~ (2018)

2017年の夏、取材班は群馬県前橋市を訪れる。ここに一人のベトナム難民がいる。グエン・バン・サン53歳である。地元のおばさん風の女性Sさんが小屋をノックすると本人が現れた。車に乗り込むと赤城山のドライブに出発する。お茶とバナナが用意されている。1日に5回のこのドライブがサンくんの日課である。ここは正式には社会福祉法人フランシスコの町あかつきの村といいSさんは職員である。

ドライブが終わるとサンくんの布団と食器を母屋に運び朝食の準備を続ける。統合失調症うつ病を患っている4人のベトナム難民と6人の日本人がこのグループホームに暮らしている。

1975年戦争終結後のベトナムで迫害を恐れたベトナム人ボートピープルとなり日本にも1万人の難民がやってきたと言う。政府は1978年ベトナム難民定住許可を出す。民間の難民定住促進センターとしてあかつきの村も難民を受け入れる。ここで日本の生活を学び350人以上のベトナム難民が日本社会へ巣立って行った。

サンくんは幻聴があるため一人で離れで暮らしている。ディレクターが話しかけても口を利いてはくれない。古い付き合いのあるジャンさんがサンくんの許を訪れる。ジャンさんは和歌山で介護の仕事をしているという。ジャンさんにサンくんが日本に来た経緯を取材できた。 牛飼いをしていたサンくんはある日密出国者を目撃したことから連れ去られ日本に難民としてやって来たという。サンくん19歳の時である。

サンくんは政府の定住促進センターで3ヶ月日本語の研修を受け日本社会へ送り込まれる。中小企業で5年間いくつかの仕事を転々とするが適応できずに閉じこもる様になる。医師の診断は統合失調症に移行する可能性のある心因反応というものだった。結局民間の施設あかつきの村に入った。1998年に放送した「ベトナム難民を支えて〜17年目のあかつきの村」には苦悩する石川神父(61)と廃人同様のサンくん(33)が写っている。そこをシスターの実習で訪れたのがSさんである。サンくんを見たSさんはここ赤城山麓の施設で仕事に従事することを決意する。それから20年、神父さんはすでに死去しサンくんの面倒はSさんがみて来た。

昼のドライブに密着する。帰ってくるとサンくんは車に残った。庭にはヤギがいて草を食んでいる。動物の糞の臭い、カエルの声がサンくんの心を安定させるという。他のベトナム人入所者を取材する。トンさん(59)はいつも音楽を聴いている。日本の演歌が好きという。ドゥクさん(53)は散歩しタバコを吸っている。タバコを吸う理由は職業病だと言う。長兄は交通事故で次兄は飛び込み自殺で亡くなった。1996年一時帰国できる事になったサンくんは石川神父とベトナムに帰る。ところが現実は甘くなかった。家族の反応は冷たくサンくんは日本で生きて行く事を選択する。その後のサンくんに変化が訪れる。退行現象である。3歳児の様になったという。

自死した入所者も4名いる。ホアンさんが書いた部屋の落書きには自分は日本の犬とある。夜の11時半、まだ起きている入所者がいる。トンさんは家族のことを語る。二人の妹に会いたいけれど自分は病気なので会わないという。石川神父の没後7年目の追悼式が行われた。あかつきの村は2000年に定住促進センターの役割を終え社会福祉法人となった。2007年から赴任した精神保健福祉士の若い所長が語る。赴任当初からSさんに罵倒されたという。今は悟った様に所長としての仕事を淡々とこなしている。

8年目Sさんが燃え尽きて泣いていた時難民が慰めてくれたという。Sさんの姉が訪ねてくる。サンくんの事もよく知っている。姉が言うにはサンくんはSさんの息子の様だと言う。 昨日もサンくんが四時間も徘徊したがSさんはただ付いて歩いただけと言う。Sさんは今の心境を語る。(皆んな自分の存在を失ったが、)存在の肯定はいっしょにいる時間だと言う。