NNNドキュメンタリー オウム真理教 凶器の萌芽 坂本弁護士一家殺害事件30年 (2018)

平成元年11月4日未明に起きた坂本弁護士一家殺害事件から29年、今年7月に松本智津夫ら幹部の死刑が執行されこの事件に区切りがついた今、取材班は新事実を加えてこの短いレポートを制作した。

横浜法律事務所、坂本弁護士が収集したオウム真理教関連の資料が提示される。シヴァ神の汗(普通の塩)、オウムの水(教祖が入った風呂の残り湯)これらはオウムの霊感商法を暴く証拠となるはずだった。同僚弁護士の小島周一弁護士が語る。家族との面会交渉から入って行った坂本弁護士はオウムの霊感商法の実態を知る様になり法的に追及できると考えたという。民事訴訟の準備を進める中、平成元年10月にオウム真理教被害者の会を結成する。その1ヶ月後坂本弁護士一家が姿を消した。

現場に落ちていたプルシャを見つけた小島周一弁護士は磯子署にこのプルシャを持って行ったという。神奈川県警本部の内部資料「坂本弁護士一家殺害事件捜査の記録《執念の2,166日》」には事件1ヶ月後の12月6日に松本智津夫への事情聴取を行なったという記載がある。松本智津夫は一切関係ないと主張したという。その後教団によるクレームがあり捜査の進展が止まる中、平成二年二月高田局の消印の速達郵便が横浜法律事務所に届く。龍彦ちゃんの埋まっている場所の地図が書いてあった。4日後には神奈川県警の捜査員が現場を捜索、5月にも捜索したが遺体を見つける事はできなかった。そうした中オウム真理教は政界進出を企てたが平成二年の衆議院選挙では全員落選する。その後オウム真理教のマスコミへの露出が増して行く。教団の武装化も進めていた。第7サティアンではサリンを製造しようとしていた。平成六年六月に松本サリン事件、平成七年三月には地下鉄サリン事件が起こる。これによってやっと腰を上げた警視庁は5月16日教祖麻原彰晃を逮捕する。

岡崎一明元死刑囚の自首調書が示される。坂本弁護士の活動に激怒した麻原彰晃が幹部を集め、「ポアしちゃえ」と言ったという。公衆電話で指示を仰ぐと「全員やるしかない」と言われたという。これらの供述から平成七年九月に龍彦ちゃんらの遺体が発見された。この時現場に同行したのは岡崎一明元死刑囚であり、手紙を送った人物も彼である。

小島周一弁護士が語る。「現場の人たちは本当に一生懸命で、そういうところは本当に頭が下がる思いだったですが、もし違ってたら叩かれちゃうんじゃないかということで、まずそれ以外を潰しておこうという方針を立てたのではないかと、その方針を立てた上の判断はどうだったんだというのはどうしても思いますね。」

当時指揮を執っていた警視総監井上幸彦氏は語る。「宗教団体に対してなかなか手を加えるってのは余程のことでないと今までの日本の戦後の歴史の中で無いんですね。それをうっかりやるといやこれは信教の自由を踏みにじった暴挙であると、宗教団体を隠れ蓑にしたという、そこで彼らがそこまで行ってしまったと。」

小島周一弁護士が語る。「世の中がなんかおかしいんじゃないのか、世の中を良くしたいというようなことを正面から語ったり、活動する場というものが当時の日本にあったんですか、今はあるんですかという思いはあるので、その根は続いちゃうんじゃないかなという気はしますね。」

同期の中村裕二弁護士は怒りを込めて語る。「龍彦ちゃんの遺体を発見できていれば、後に起こる松本サリン事件も、地下鉄サリン事件も避けられたんではないかなと思うととても残念に思います。」

確か外国のジャーナリズムはそう言う論調だったような気がする。日本のジャーナリズムも弁護士に言わせるんじゃなく自ら論陣を張れば?ということではないか。