遠い山なみの光 (2001)

カズオ イシグロ氏の長編処女作、A Pale View of Hills (1981)の日本語訳を読了した。

エディンバラの田舎に住む悦子は戦後英国人の学者と結婚した移民一世である。子育てに失敗しつつあり、悲痛な思いを抱いていると思われるが淡々と過去を回想する。悦子は原爆で廃墟になった長崎のバラックに電機メーカーに勤める夫と住み自分のお腹には第一子が宿っている。この住居に退職後福岡に住む義父が長逗留しそのやりとりと、近所に住む風変わりな母子との交流を軸に話は展開する。母は佐知子といい米軍人のフランクとつきあっているがフランクが現れることはない。娘は万里子といい学校になじめずぶらぶらしている。万里子は自分を連れて行こうとする女の人が居ると言うが、母親の言うとおり虚言かどうかは判然としない。ここで孤立している佐知子は唯一の友人悦子に口を利いてもらったうどん屋の働き口で働き最後は神戸に引越して行った。悦子はこの後長女を出産し英国人とイギリスに移住し第二子をもうける。長女はメンタルを病みマンチェスターで自殺、次女はロンドンに出て学校にも行かずぶらぶらしている。結婚して亭主とうるさい子供を抱えてどこかに押し込められるのはまっぴらという考えである。

読後感としてはまあ確かに今の現実と過去の回想の描写にはリアルな感覚はあるが、暗示されたまま姿を現さない存在もあり、悦子の回想もどこか薄闇の中を行くという感じが出ている。あっと驚くような考えは見当たらない。