東洋文庫 中国古代の祭礼と歌謡 M.グラネー (1919)

フランス支那学の大家 M.グラネー による大著かつ学位請求論文が本書である。歌謡というのは詩経に収録されている恋愛歌の事で、祭礼とは四つの地方の祭礼について幾つかの文献を元に著述したものである。新進気鋭の学者だけあって緒論では旧来の欧米の研究者の解釈や、中国の各学派による註釈の批判が多く見られる。歌謡の冒頭の詩を挙げる。

1)毛氏による註釈書である毛伝、鄭玄による註釈書の鄭箋によると興であるという。また夭夭は桃の木が若いことを、嫁いで行く娘が若いことを表す。礼記に見られる「三十曰壮、有室」にある壮は婦人における二十才を意味する。灼灼は花の咲き乱れる様を表し、毛伝はこれを娘の美しい様、鄭箋は季節も年齢も結婚に相応しいと解している。

3)于は往の意

4)毛伝では年齢、鄭箋は年齢と季節が儀礼通りである事を宜と述べている。家室とは妻を娶ったり夫を持つ事をいう。

6)毛伝によると実とは婦人の徳の象徴であり、鄭箋では言及が無い。

9)蓁蓁は毛伝によると若い娘の形体至盛貌を表す。

12)毛伝では家人とは一家の人、鄭箋では猶家人と解す。詩経伝説彙纂には治国有斉其家とある。(クーヴラー訳礼記

とこのような脚注となっている。以下はグラネーの解説である。

(略) まず最初に考えられるのは夫婦の年齢の問題である。すなわち彼らはあまり年をとっていてはいけない。それゆえ夭夭、灼灼たる桃の木のことが象徴的に語られて居るのである。吾々はさらにこの桃の木が、十五歳から十九歳までの若い娘を象徴していると推定しても間違いはないであろう。しかしこれは比喩であるから、これだけに止めてしまう必要はない。すなわち桃花は乙女の美しさを示し、果実は乙女の婦徳を表し、その葉は乙女の成熟した身体を象徴しているのである。 (略)

緒論で言っている程の新味がある訳でもなかった。この程度の仕事では古書通例を著した余嘉錫の域にも達していないと思われるし、高校でこの詩を習う我々の方が詩に親しんでいる分、詩の意を汲み取れていると思われる。

祭礼の部は省略。