東洋文庫 松本良順自伝・長与専斎自伝 (1902)

松本良順は江戸時代末期から明治にかけて活躍した蘭方医である。当時は蘭学を学ぶ事は至難であり、やはり多紀楽真院の妨害を受けている。本文には陽だまりの樹を彷彿とさせる様な史実が並んでいる。部分を抜粋する。

(略) 幕府創業の制は、習慣上より、医を以って法律外に置き、僧侶の如き者となしたり。然れども医者は武官と異なり、戦場において武器を捨て敵を背にするも咎めなく、また内殿に入り婦人に接するも、その女子三人以上同座する処なれば、相接話するも咎めなし。またもって誤って毒薬人を殺すも罪甚だ軽く、城門の出入りも、武臣はその職に因って定まれる所あるも、君側に侍するの医師(奥医師、法眼)はいずれの門よりするも自由なりし。国初の頃は必ずしも両刀をも帯ざる風にて、その法印と云い法眼と云うもみな僧官なり。故に白絹を着するは従五位以上の制なるにも拘らず、医は町村医にして無位無冠の者たるも、これを着したり。これその制外を以ってなり。 (略)

(略) ある日客あり。名刺を通じ、病院の模様一覧を請うと云う。その名を視るに、ただ山県狂介と署名あり。衆に問うに、陸軍大輔なり、云々。すなわち応接室に誘い、出でて来意を問う。まず院中を巡視せんことを望まるるを以って、先導して宿室・薬局・庖厨・浴室・厠に至るまで、残す事なく周覧し終り、旧席に入りて、茶烟を給せり。山県候(総理大臣・陸軍大将正二位菊花大綬章山県侯爵有朋君これなり)緩々地閑話せられ、予は欧州を巡回し、近頃帰朝す、君の病院を建築せらるることを聴き、欣慕に堪えず、突然来訪し、清閑を妨げたり、病室内外の構置、完全にして、酒掃至らざる処なく、大いに感じたり、然るに、未開の国、ようやく兵部省あるも、最も必要とする衛生部なし、しかして、このことをなさん者、他にその人なし、出でてこれを主宰することあらば、予必ずこれを任ぜん。余答えて曰く、僕は朝敵の名ありて、天恩一死を赦されたる以来、日なお浅く、刑余の身何ぞ顕職を汚すことを得ん。候笑って曰く、今日はおのおの国のために尽力するに何ぞ謙遜を用いん、ひたすら国家を以って最重とすべきなり、何ぞ朝敵を怨望することあらん。 (略)

松本良順の実弟が林薫である。長与専斎の方は省略。