東洋文庫 神道集 (1360年頃)

解説が興味深いので紹介する。以下引用文。

《神と仏ははやくから習合の傾向を見せていたが、古代末期から鎌倉時代にかけて、本地垂迹思想の流れに沿って、インドの仏は日本の神の本地(前世)であり、日本のあらゆる神は、インドの本地仏がかりにこの世に姿をあらわしたものである、とする考え方が仏教教団側からおこり、ここに神々の本地仏は構想された。たとえば本地仏大日如来、その垂迹神天照大神といい、また阿弥陀如来八幡神であるといったふうに。熊野・宇佐・日吉などの本地仏が全国にゆきわたったのは、ほぼ鎌倉末期であったと考えられる。

本地仏として考えられた仏は、右の大日如来阿弥陀仏のほか、釈迦・薬師・文殊・普賢・地蔵・弥勒・観音・盛至・虚空蔵・不動明王の十二尊が主なもので、阿閦如来を欠く以外、まったく十三仏の考え方と軌を一にする点からいって、これは必ずや密教徒の関与があったという推定はまず動くまい。本地垂迹の考え方から、人々ははるかなる海彼の国インドを天国のように考えるようになる。西の方、この世ならぬ彼岸に浄土を求め、かの世界への往生をひとえに説こうとする浄土教にとって、こうした垂迹説は渡りに舟の好都合な思想的基盤であった。》

これを念頭に置いて本文を読んで見るとショックが少ないのではないだろうか。本文を一部紹介する。以下引用文。

熊野権現の事

(略)熊野には一二所権現がある。その内まず三所権現についていうと、証誠権現(本宮、熊野坐神社)は本地は阿弥陀如来、あと二所の権現のうち中の御前(新宮、熊野速玉神社)は薬師如来、西の御前(熊野那智神社)は観音である。(略)》

次いで説話が出てくるがとても変わっている。本文を少し紹介する。以下引用文。

《 二所権現の事

二所権現とは、インドの斯羅奈国の大臣、源中将尹統の二人の姫君たちのことである。その昔、インドには十六の大国、五百の中国、一万の小国など、たくさんの国があった。今いう斯羅奈国は、五百の中国のうちでは大国で、この一国の中に七千三百六十六の国があった。斯羅奈国の帝を蜜陀羅王といった。(略)》

本文を読むと、純和風の部分とインドと混淆した部分とがある。これは民衆向けに作られた、布教と娯楽を目的とした説話文学である。