東洋文庫 子育ての書 1 山住正巳 中江和恵 編注

本書は平凡社の宣伝文によると、「日本人の著述のなかから子育てに関する見解を集成し,日本の育児思想の源流をさぐる。」ものであるという。読んでみるとどうやら一般向けの手引書ではなく、研究者向けの本のようである。著者による解題と原文からなっている。そのごく一部を紹介する。

風姿花伝》 (1400)世阿弥元清

年来稽古条々

七歳

一、この芸において、大方七歳をもて初めとす。

《世鏡抄》 (室町時代

第七 若身持ちの事

誕生の蟇目より七歳までの、学文始めまで、肝要なり。如何にも如何にも、賢人の御父、智人の乳母を付くべきなり。

東照宮御消息》 伝徳川家康

一、我儘にては、終に我が願望の叶い候事、決してなき事に候。第一、我儘にては、親を思わず、親に見かぎられ、第二、親に疎まれ、第三、朋友に疎まれ、第四、召使うものに疎まれ、第五、我が身の願い事悉く叶わず。右五ヶ条の通り成り行き候えば、身をうらみ、天道をうらみ、後にはわずらわしく、心乱るるより外、之無く候。唯幼少より、物毎自由にならぬ事、よくよく心得申したき事に候。

《貝原篤信家訓》 (1686) 貝原益軒

一 およそ小児を教え育つるに、始めて飯を食い、初めてものいい、さて人の面を見て悦び、怒る色を知る程より、常にたえまなく教ゆれば、ややおとなしくなりて、誡める事なく、やすし。故に、小児は、はやく教ゆべし。

《翁問答》 (1641)中江藤樹

さて子孫に教ゆるには、幼少の時を根本とす。むかしは胎教とて、胎内にある間も母徳の教化あり。いま時の人は至理を知らざるゆえに、おさなきうちには教えはなきものなりと思えり。教化の真実をしらずして、ただ口にていい教えぬるばかりを教えと思うより起こりたる迷いなり。根本真実の教化は、徳教なり。口にては教えずして、我が身を立て道をおこないて、人のおのずから変化するを徳教という。

《武教小学》 (1656)山鹿素行

子孫教戒

子孫の温情は、天道の自然にして、血脈相続の成るところなり。人倫の厚き、何事かこれに及かんや。我が身すでに没して、嗣子放癖なれば、すなわち家絶え、身滅ぶ。何ぞ、恩愛のはなはだしきを以て、教戒のことを垂れざらんや。士は大丈夫を以て勇となす。愛恵の切なるにおいて、信勇を以てこれを戒めざれば、すなわち志士仁人に非ず。孟子曰く、「富貴も淫すること能わず、貧賎も移すこと能わず、威武も屈すること能わず、これをこれ大丈夫という」と。

《鑑草》 (1646)中江藤樹

貴きも賤きも、智あるも愚かなるも、生きとし生ける人、その子を愛せざるはなし。子を愛する時は、必ずその子に宝を与えん事を願わざるはなし。しかはあれど、天下第一の宝のある事をわきまえざる故に、徒らに世間の宝をあたえんとのみねがいて、性命の宝をあたえんと願う心なし。