失われた時を求めて (127)

ロベールの死が語られる。名誉の戦死だがプルーストは冷たいもんである。言葉だけはしつこいくらいに賛辞を並べてはいる。心にもない褒め言葉の裏では高騰したデビアス株の事を考えているのだ。そういうプルーストの消息についての記述がある。以下引用文。(吉川一義訳)

《私があらたに引きこもった療養所も、最初の療養所と同じく、私を快癒させるには至らなかった。そして多くの歳月が経過し、ようやく私はその療養所を出た。パリへ帰るべく汽車に乗っているあいだ、またもや私は自分には文学の才能がないという思いにとらわれた。》

またもや文学の才能がないという。自然の美を見ても今や何の感興もわかないというのがその理由の一つだが、元々ルポルタージュのような文が全く書けないというのもある。

パリに着くと自宅にはいくつかの招待状が届いていてプルーストは新築されたゲルマント大公邸に向かったのである。その途上年老いたシャルリュス氏を見てこう述べている。以下引用文。(吉川一義訳)

オイディプス王のへし折られた高慢を語るソポクレスの合唱隊よりも、死それ自体や死を悼むいかなる弔辞よりも、男爵がいそいそとサン=トゥーヴェルト夫人に差し向けたへりくだった挨拶は、地上の栄誉への愛着や人間の高慢のすべてがいかにももろく滅びやすいものであるかを遺憾なく示していた。》

ここでは名調子が復活している。