東洋文庫 朝鮮幽囚記 (1666)

1653年6月18日オランダ領インド総督ヨアン・マーツアイケルの命を受けヤハト船スペルウォール号はバタビアを出港しタイオワンの政庁へと向かう。さらに日本へ向かう命を受け7月30日タイオワンを出港した。

この後スペルウォール号は済州島の南で難破し生き残ったオランダ人36名は島へ上陸する。するとたちまち武装した現地人に取り囲まれ捕虜となった。

この後の細々とした出来事は長くなるので省略するが、ロシアに漂着した大黒屋光太夫、明国に漂着した竹内藤右衛門らと比べ李氏朝鮮に漂着した者たちは不運であると言えよう。棒打ちの刑罰で死亡したり、理不尽な労役を課せられたりしている。

13年それらに耐えた乗組員らは長崎に到着しオランダ人であるがゆえに合法的にオランダへ帰還することができたのである。著者のヘンドリック・ハメルの記述はとても正確でわかりやすいもので読んで行くとこの時代の光景が見えるようである。