岩波新書 モゴール族探検記 (2)

本文から少し紹介する。

《アブドル・ラーマン老人の二番目の息子が、ダバーという黒い汚いツボのようなものをもって来てくれた。これは、この村でつくるという。材料は、ブテ・イ・シリシとう一種の植物である。その根を乾かし、水車でひく。それを布でこしてシリシという一種の「のり」をつくる。布で大体のツボの形を縫い上げその中に粘土をつめて、立体の形をととのえる。その外側に、シリシを水にとかしてととのえる。かわいたところで中の粘土をとりだせば、シリシは固まって、しゃんとしたダバーになる。まことに素朴な技術である。わたしたちはダバーを、ジルニーのモゴール部落における物質文化採集品第一号として、標本箱の中にしまった。

このダバーだって、しかしモゴール特有の文化ではない。これは、タイマニ族も知っている。モゴールは、大部分タイマニと同じであり、またかなりにパシュトゥーンの文化を借りているところもある。ジンギスカン以来のモンゴル文化の伝統は、ここでは何ものこっていない。その点では、わたしは全く失望した。》

人類学者梅棹忠夫の上質なエッセイになっているが、この探検の顛末のようなものが記されている。残念ながらこの地には13世紀の風習、文物は何も残っていなかったのである。

岩波新書 モゴール族探検記 (1956)

京都大学探検隊による1955年の記録である。著者の梅棹忠夫はこう書いている。

《わたしは、キャンプ地をさがすために、村の中を巡視する。まあ、なんというひどいところに住んでいるものだろう。どっちを見ても、赤茶けた岩山ばっかり。これは、世界の果てだ。いくら追いつめられても、これ以上どこにも行きようがない、というようなところに、この人たちは住んでいる。わずかな水をたよりに、かさかさの耕地を、からくもひっかきまわしているだけである。

村の西のはずれに、よいキャンプ地があった。わたしは、一目見て、これは良いと思った。地上はきれいなメドウである。上は、アンズの大木がまばらに生えて、まるで公園のようだ。木かげで、村人たちがのんびりとおしゃべりをしている。水はちょっと遠いが、百メートルほどゆけば谷川がある。わたしはここを「ジルニー公園」とよぶことにした。

「公園」の森の中で、東の縁に近い、一番よい場所を選んで、テントを張った。各人の個人テントを、それぞれ好きな位置に建てて、そのかたわらに大きな共同テントをたてた。共同テントは、食堂兼研究室になる。荷物は、個人装備の箱おのおの一個は、各人の個人テントに運び込み、あとは共同テントの中に収容する。壁面にそうて手ぎわよく積みあげ、まん中に、木箱四個を利用して、食卓兼仕事机をつくった。いすも木箱だ。共同テントの一番奥に、兵士アブドル・ラーマンが宿直する。》

奥地にあるジルニー村に狙いを定めた探検隊は露営を開始した。荷物の運搬に一苦労している。幸いなことに当局の後ろ盾もある。だがすでにモゴール語は使われておらず、長老から断片を聞き出す作業をすることになる。

映画 雨上がる (2000)

観終わった感想だけつらつら述べてみる。

黒澤明監督作品の重厚な味が出せているのか、という目線で見るとこの映画が軽い感じがするのは否めないだろう。役者そのものの醸し出す重厚感というのもあるだろうし、演出についても黒澤明監督の頭にあるような方法論とは違ったもののような気がする。登場人物の物の考え方が近世的ではなく現代寄りなのだ。

江戸時代となれば理不尽な事も多いだろうし、個人主義的なものはすぐ排除されてしまうだろう。社会の仕組みもガチガチで、例を挙げれば近松門左衛門の心中物のような展開が本当に近いのである。原作の山本周五郎のヒューマニスティックなストーリーをさらに甘口にしているので一般向けにはいいかもしれないが映画の完成度はむしろ落ちている。

黒澤作品が唯一無二である事がよくわかる事例である。

晩年の時間つぶし (14)

今週もまた同じように本と模型とスコアで時間の針を進め、週末は息抜きをする。映画も一本観る。

モゴール族探検記を二週間くらいかけて読む。著者はカンダハルからカブールに移動し仲間を待っているところである。

プラカラーの白とツヤあり黒を追加し、マスキングテープも購入した。

スコアの方はワーグナーまで来た。独特で複雑な音楽だ。音楽史風に並べて行くとベートーヴェンのすぐあとにラデツキー行進曲が来る。スーザの音楽もクラシック的に観るとこの辺に来ることになる。

https://youtu.be/Hc8UueYT_FQ

晩年の時間つぶし (13)

グロリアスーパー6を組み終えた。オープンカーの状態になっている。

なかなか難しい。いろいろ失敗しているのでレタッチソフトで修正した。もう一台作ってみる。今度は上手にやってみたい。

映画 ハロー・ドーリー! (1969)

トニー賞授賞作のハロー・ドーリー!(1964)はブロードウェイミュージカルの筆頭格であり、バーブラ・ストライザンド主演で1969年に映画化された。冒頭の街のスチール写真が動き出すところや、通行人のステップが音楽に合わさるところは芸術レベルまで洗練されている。仲人のおばさんドーリー役のバーブラ・ストライザンドのパフォーマンスは素晴らしく、名曲揃いなので映画にしてくれて有難うという感じである。

ストーリーは陳腐なものではあるが、バンドを指揮するルイ・アームストロングがハロー・ドリーを歌っている貴重なシーンもある。ミュージカルはヒットし海外でも公演されたが日本には来なかった。この頃のブロードウェイミュージカルは大概そうである。