2018-01-01から1ヶ月間の記事一覧

前略おふくろ様 II 第13回 (1977)

海ちゃんがもう三日帰ってこない。サブのアパートに兄から電話がある。おふくろのことで話がありあとで川波に来るという。 朝刊に大手の増田建設が倒産したという記事が載っている。川波にも関連会社の売掛け金が結構あるようだ。女将さんが請求書をあわてて…

日本史を世界史として見る

日本地図から地名表記を除いて方向を変えるとフェルガナとバクトリアが現れる。東京湾はカスピ海だと思えばいい。世界とは何かと問えば文明を離れて住み、異民族に服属するか滅ぼされるかという答えになる。もう一つ文明の真っ只中に住み修羅を経験するとい…

世界史で最重要な図

アレクサンドロス三世が征服して回った場所を表す地図である。文明から遠く離れても盆地や渓谷のような所には人が住んでいる。バクトリア、フェルガナがそうである。バクトリアはワハン渓谷を経てパミール高原に至る。これは古代シルクロードでもある。この…

ユーラシアの三大文明

川に注目すると西のメソポタミア文明、東の黄河文明、長江文明が現代の文明社会に受け継がれて繁栄していると言える。インダス文明はインド南部、セイロンの方へ追いやられ今あるのはウルドゥ語、パキスタン国家であるし、ガンジス川の方はベンガル語、バン…

立花隆選の100冊(2008)

旧制高等学校3年(〜1950)、教養課程1年または2年(〜1980年代)、暗黒時代(1991〜)、放送大学(1983〜) これが日本におけるリベラルアーツの歴史で現在は暗黒時代になっている。文部省とそれに踊らされた大学人の責任である。唯一の希望は学費が安く正…

東洋文庫 子不語1 袁枚 (1788頃)

清朝乾隆帝期の文人で詩人の袁枚の著書で全二四巻、767話ある。表題は論語の子不語 怪力乱神に因んでいる。要するに孔子が論じようとしなかった怪異現象の分野における説話集である。袁枚の人となりは序にこう述べてあることから推し量ることができる。 余は…

吉田秀和 名曲のたのしみ 2012年2月18日放送分

FM

今日はラフマニノフの連続放送の第15回目にあたります。ラフマニノフは並外れたピアノの名人で彼の手がけた作品の中でもピアノのための曲が圧倒的に多い。しかしその中でソナタということになると彼は二曲しか書いてません。いくらラフマニノフが保守的な作…

オペアンプで作る負性インピーダンスアンプ

NJM4580とNJM4556で作ったのがある。これなら作りやすいし大きめのヘッドホンで効果を確認するといい思う。 TPA6120を載せることもできる。

2018若い人に贈る読書のすすめ 掲載図書一覧

1)前野ウルド浩太郎 バッタを倒しにアフリカへ 2)西原理恵子 女の子が生きていくときに、覚えていてほしいこと 3)辻村深月 かがみの孤城 4)山中伸弥、羽生善治、是枝裕和、山極壽一、永田和宏 僕たちが何者でもなかった頃の話をしよう 5)住野よる か「…

映画 シンプル・プラン (1998)

ハンクは大学を卒業後、故郷の雪深い田舎町に仕事を得て美人の妻と暮らす毎日であった。両親は他界しており失業中の兄が近くで暮らしていた。ある日の事ハンクは兄と兄の友人と車で出かけ帰る途中事故を起こす。鶏を咥えた狐が原因だった。怒った兄たちは銃…

映画 アイ・アム・サム (2002)

知的障害がありスターバックスで働いているサムに子供が授かった。サムは赤子にルーシーと名づけ一人で育て始める。この無謀な行為も隣に住むアニーというピアノの上手なおばあさんの手助けで軌道にのる。 サムに絵本を読んでもらいルーシーはすくすくと育つ…

吉田秀和 名曲のたのしみ 2012年2月4日放送分

FM

今日はラフマニノフの第13番目の放送の日になります。ラフマニノフはシンフォニー、3曲書きました。その第1番は1895年、22歳の時ですがその二年の後に初演がありました。そこでさんざん酷い声を浴びせられたので心に深い痛手をこうむってしまいまして暫くは…

東洋文庫 江南春 青木正児 (1922)

表題作は京都帝大文科出身の著書が大正12年の仙台赴任中に記した中国旅行記である。まず冒頭で杭州の西湖を訪れた時の印象を綴っている。一人でやってきて西洋風の精華旅館に滞在し喧騒の中散策し水と柳を賞でる。京都、奈良とは違う若やいだ和らかさがある…

映画 ライアンの娘 (1970)

第一次世界大戦中のアイルランドの小さな村でのいささか不謹慎なお話である。村の置かれた状況は厳しい。若者には仕事も無くイギリス軍が駐屯して居る。酒場の経営者で工作員のライアンにはローズという美しい娘がいた。村には釣り合うような男がおらずぶら…

ダイヤモンドバッファ使用負性インピーダンスヘッドホンアンプ

負性インピーダンスアンプが次から次へと出てくるが今度はポピュラーな回路なので作るのも容易だと思う。 測定してみると出力インピーダンスはー8Ωになっている。LME49600の方が明るい音だがこちらの方は奥深い感じのする音になっている。

前略おふくろ様 II 第12回 (1977)

枕の寸劇では新年を迎えたサブが餅を焼きながら母に年賀状の返事を書いている。30日まで働いていたので切符も取れず帰れなかったと詫びる。だが兄の年賀状によれば母のボケ具合はひどくなっているらしい。 川波の朝の光景。板前たちが作った御節料理を囲ん…

吉田秀和 名曲のたのしみ 2012年2月11日放送分

FM

今日はまずラフマニノフの歌から聴きましょう。前にも聴いた作品14の歌曲集、これは12曲からできているものですけど、その9、10、11、12と4曲を続けて聴くことにしましょう。9番の曲は「彼女は真昼のように美しい」その次「私の心の中に」、第11番の曲は「…

映画 東京難民 (2014)

主人公の修は東京の私大に通う平凡な学生だがある日父親の失踪により学費未納となり除籍される。ここから生き延びる為の行動を開始するのだが修は東京で結構戦える人物のようだ。あっさりアパートを追い出されるがネットカフェで情報を収集し治験のアルバイ…

負性インピーダンスアンプの効果

負性インピーダンスはスピーカーのQsを電気的に下げるという効果をもたらす。シミュレーターで負性インピーダンスアンプを書くと、 このように電流正帰還の量によってQsが変化するのが見れる。Qsが変化すれば過渡特性も変化する。サイン波の4波バースト信号…

東洋文庫 北伐の途上で他 郭沫若自伝4 (1936)

「北伐の途上で」は1926年の北伐軍による武昌攻略の経緯を政治部NO.2の郭沫若ができるだけ正確に書き残したという回想録である。8月24日長沙に駐屯中に急遽命令により北へ出発することになる。筆者も秘書の李徳謨(リートーモー)と共に列車に乗り込み二時間…

電子回路シミュレーター

2次のハイパスフィルターを書いてみる。 Bがフィルター出力、Aが速度特性。(ボイスコイル速度はボイスコイルを流れる電流に比例する。) 単振動とフィルターの関係。素子の定数はこの式で計算する。fs=50Hzの条件で描画させる。

Loudspeaker Design Cookbook

スピーカー自作のバイブル(往生要集?)として有名な本である。低域をフラットにする秘法がいくつか述べられている。曰く「密閉箱においてQtcを0.7にせよ。」 具体的にはスピーカーユニットを買った時に付いているTSパラメーターを用いて箱の内容積からQsを…

LME49600負性インピーダンスアンプ

この方式で作った最初のアンプ。負性インピーダンスである事が実測できる。

前略おふくろ様 II 第11回 (1976)

枕の寸劇。サブと政吉が顔を付き合わせて招待者のリストを作っている。クリスマスイブに店を貸り切って男女7対7のパーティーを開くという。政吉はコインランドリーで知り合ったアイ子を呼ぶつもりである。 奥手の政吉はサブにアイ子への電話を頼む。ところが…

吉田秀和 名曲のたのしみ 2012年1月28日放送分

FM

今日は試聴室の番ですからアレクサンダー・スクリャービンの音楽を聴きましょう。スクリャービンはラフマニノフとは音楽学校の同窓生です。彼は19世紀末から20世紀前半のロシアが生んだ桁外れに特異な才能の持ち主でした。20才の時音楽学校を卒業したんです…

負性インピーダンスにする方法

1989年にヤマハが製品化した負性インピーダンスアンプの仕組み。 私の方法その1 私の方法その2 当時のヤマハの説明 負性インピーダンスアンプをバスレフに応用した技術であるがその実体は速度型MFBなのである。

BUF634負性インピーダンスアンプ

2014年の全アンプ負性インピーダンス化計画の頃作った一台。わりとオーソドックスな構成。 出力インピーダンスはー8.2Ωとなっている。

前略おふくろ様 II 第10回 (1976)

あれから母親のことが頭から離れないサブである。川波の何時もの慌ただしい板場の風景。その夜トラブルが持ち上がる。ヤクザの高級車が店の前に止まっている。客に呼ばれて秀次が座敷に顔を出すと昔の仲間が久しぶりと言う。半分足を洗ったと言うがヤクザで…

映画 レッド・バロン (2008)

第一次世界大戦時のドイツのエースパイロット、リヒトホーフェンの伝記映画である。少年期のエピソードの後ドイツ空軍の若き精鋭となったリヒトホーフェンの活躍が描かれる。彼は貴族出身らしく狩のように楽しみながら空中戦を行う。戦場では機体を赤く塗り…

東洋文庫 海游録 申維翰(1719)

徳川幕府八代将軍徳川吉宗の襲位を賀していわゆる朝鮮通信使一行475名が訪日する。その時の製述官が申維翰である。日記形式の記録で漢文で書かれている。 一行はソウルを1719年4月11日に出発し13日釜山に到着する。5月18日出航、南風に阻まれて絶影島に停泊…