映画 チキンとプラム あるバイオリン弾き、最後の夢 (2011)

   これはイラン人が書いた大人の寓話だ。欧米化していたころのテヘランが舞台である。あるバイオリン弾きがストラディバリを求めて得られず自殺しようとする。登場人物はイラン人のはずだがペラペラとフランス語でしゃべる。夫婦間、兄弟間で口論するがその直截なことはフランス人的である。さてバイオリン弾きは死のうとしてベッドの上でさまざまに回想し空想する。何日めかに自殺の原因となるものが出てくる。妻が口論の末バイオリンを叩きこわしたのだった。

   回想にはナセル(バイオリン弾き)の生い立ち、修行時代、運命の恋人が出てくる。それが超絶美人だった。その恋人との結婚はならなかったがそのことがナセルの音楽に魂を吹き込むことになる。音楽家として成功を収めるが41歳になっていたナセルは故郷に帰り今の妻と結婚する。ナセルは彼女を愛してはいなかったが彼女も相当な美人だ。
 
 8日後にナセルは死に母親の元に埋葬された。

  エピソードの構成が複雑で一度では分かりづらかったので何度か戻って見た。結論としてはナセルは意気がって死ぬことは無かったんじゃないかと思う。これを機に働いてナセルの事を愛していた妻を幸せにすれば良かったのだ。恋も芸術も壮大な虚妄と気づけば良かったのだ。

    今回は音楽は素晴らしいし、ありえない位の美人映画だった。

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    と書いたけれどナセルの行動は男としてそうならざるを得無い気もする。それは山口洋子のこういう観察があるからだ。

「男の弱みの最後は、自分の心だけは決して誤魔化しがきかないという点だ。特に女性に対しては。自分の好きなタイプの女性に、なぜか理屈抜きにひれ伏してしまう男性の弱点。これだけはいまだに私にもとけぬ謎のひとつで、反面からいうと始めに自分が彼のタイプかどうかを、よくよくリサーチする必要もあるように思う。不幸にしてあまりタイプじゃない場合は、かなりの努力が必要である。幸いにしてどんぴしゃだった場合、さあ今度はあなたが彼を嫌にならないための努力をするだけで結構なのである。」 

第三章の終わりのほうに記述がある。