映画 空海 (1984)

     帝が奈良の都を捨て山城国に都を移す場面から始まる。官僚や兵士たちの行列が続く。そこへ讃岐国から出てきたばかりの眞魚(マオ=空海)が出くわし帝と会話する。秀才の眞魚は都にいる伯父の阿刀大足を頼って上京し官僚を目指すのだが大学寮を一年で辞め旅に出る。山で修行し霊能を獲得する様が描かれる。例えば飛び降りても死なないとか口に明星が飛び込んだなど。火山が噴火し眞魚と村人らは洞窟に逃げ込む。そこで眞魚が見たものは恐怖を逃れるために男女で抱き合う光景だった。これが眞魚の見た密教曼荼羅のイメージと重なって行く。 

    一方宮廷では風紀の乱れと腐敗が起こっていた。眞魚は都に戻り僧侶となっていた。音曲と舞を楽しむ帝。帝は遣唐使を復活するという。32歳になる空海密教を学ぶため修行僧として遣唐使に同行したいと言う。建造なった朱塗りの遣唐船に乗り唐へと向かう空海。違う船で最澄も唐へ渡る。第16次遣唐船が出航したのは804年のことだが嵐に会う。空海は甲板に出て風も雨も波も天の鼓動だと言い呪文を唱えだした。  
 
    船は福州に漂着し空海らはそこへ留め置かれるもやがて長安へ出発する。映画では中国ロケが敢行され一行は中国の奇観とも言える風景の中を進む。大雁塔が見えるともうそこは長安である。先に着いていた者に聞くと最澄天台山に向かったという。空海は長安の西明寺に入り住居とする。空海シルクロードを見つめこの先に天竺があるという。自分は行かないがと付け加えた。町に出てエロティックな胡姫の踊りを見る空海。まず空海は醴泉寺の印度僧につき梵語を学ぶことにした。 

    最澄は一年で修行を終え大量の経典を持って帰国し国師として天皇に仕えることになる。いよいよ空海青龍寺に行き恵果師と面会する。師は命が尽きようとしていたが間に合ったと言い密教の全てを授けようと言う。空海は3ヶ月で修行を終える。   
      
   機を捉え帰国した空海は九州に留め置かれている内に伯父の阿刀大足が京より落ち延びてくる。第三皇子が謀反のかどで捉えられ死んだと言う。空海は二年ほど大宰府観世音寺に逗留していたが嵯峨天皇の即位とともに行動を開始する。まず和泉国に入り次いで京に入る。嵯峨天皇上皇を討ち愛人の薬子を自害させる。この時空海嵯峨天皇側につき祈祷を行っている。 

    最澄空海の元を訪れ密教の教えを乞う。暫く空海の元で修行するが理趣釈経貸出し拒否と弟子の寝返りの件で空海とは疎遠となる。空海は弟子らとともに西国に行脚に出る。疫病に苦しむ村を訪れ村人に法を広める。一方最澄嵯峨天皇に直訴して天台の戒壇設立の許しを得る。最澄東大寺の僧侶と法論の対決をする。最澄は一人一人が成仏するのが天台の教義であるという。奈良の仏教ではそういう事は言わないのである。

     空海は村人に説き農業用の堤(満濃池)を作らせるがその間自分は護摩を焚き不眠不休の行を行う。工事の様子と水が流れる実写場面が出てくる。法力で治水事業を助けた様な描写だがこれにはプロパガンダ色がある。後世では武将が普通に治水事業を行っている。 
    
    空海嵯峨天皇に退位を要請し大伴親王に譲位させ自分は高野山にこもる。天皇からの寄進も断る。国家の仏教になるのを拒否したのである。だがその後教王護国寺を下賜され国家の宗教になっている。空海はその後祈祷、綜芸種智院大学の設立、多くの著書を著すなどしたのち高野山で入滅した。

    

〔集古文書  六十釋書〕
受戒僧綱牒〈近江國比叡山延暦寺〉 僧綱牒近江國師 今年受戒僧事 僧最澄年二十〈近江國志賀郡古市郷○○○産、正八位下三津首淨足戸口、同姓廣野、黒子頸、左一、左附折上一、〉 牒上、件僧以二今年一受戒已畢、國師承知、經二於國司一編二附國分寺僧帳一、今以レ状下、牒到奉行、