東洋文庫 星亨とその時代 (1984)

  本書は国会図書館憲政資料室にある野沢雞一編著「星亨伝記資料」からまとめて東洋文庫2冊分にしたものである。したがっていわゆる伝記本よりも詳細であり関係者の証言集という側面もある。

  星亨(1850〜1901)は江戸の生まれ。英学を学び横浜税関長となるが辞職後英国に留学し弁護士の資格を取る。日本における弁護士第1号が星亨である。藩閥政治に批判的であり立憲自由党に入党し衆議院議員となる。逓信大臣、衆議院議長となったが議員を除名されその後は東京市議会議長になる。秘密会議終了後剣術使いの伊庭想太郎に暗殺された。

  人となりはスキャンダルが多いが清廉潔白と評される。

  後藤伯爵未亡人談話
  星さんと主人の関係の事は女の私には分かりませんが、星さんがたびたび私の方に見えたのは明治13、4年の頃、主人が高島炭鉱を経営しました頃の事で、主人が長崎へ往って居りましたるすなどにもたびたび尋ねて来て呉れられました。あの方は一寸みると怖い人の様に見えますが、深く附合いますと中々親切な人でありました。その時分にも私に申されますに「この節は家内に毎晩仏蘭西語を教えて居りますが、貴女も是非一緒にオヤリなさっては如何です」と頻りに勧めて下さいました。理屈はまことに言う人で、何でもかでも理屈詰で来る人で、ある時も何かの事から私に向かい男女同権の事を説かれて、女でも幼き時より男子のなす様なことを能く教えさえすれば男子と同様な事が出来得るもので、今日男女のなすことの違うのはその習慣が違うからであるから、この習慣さえ変ゆれば男女は同じことである、なんて言われました。私は「それは違います。男と女とは元来力が違います。早い話が三味線の根〆でも分かる。いかに三味線の上手な女でも男の根〆したものと較べるとその音が如何にしても違います。これが女の男に適わない証拠であります。」と言って、両方で理屈の謂い合いをしたことがありました。(中略)それから後には段々と豪くなられて議長にまで進まれたが、あの議長の喧しい問題が起きた時にも、私は「あんな立派な議長があるものか。自分の党派の為をすると云う非難もあるけれども、自分の利益になる様にするは当たり前である。それ丈の働きある人なればこそ自党の人々が推挙したであろう」と申したことでありました。(中略)まだ行末永き御歳であの御最後を遂げられたのはいかにも惜しい事ですが、しかしあれが政治家の花で御座りましょう。象二郎などは病で斃れまして致し方がありません。

     明治38年 中野寅次郎筆記