東洋文庫 大唐西域記 1 玄奘 (646)

  阿耆尼国(カラシャール)から説き始める。ここは今の焉耆(えんき)回族自治県トルファンの南西にあるオアシスである。広さ、気候、作物、貨幣、風俗、伽藍と僧徒の数について記している。屈支国(クチャ)はさらに広い国で伽藍と僧徒の数も多い。小乗教の説一切有部を学習し教義はインド文で習う。肉も食べるので漸教にとどまっている。さらに西へ行くとバールーカー国に着く。大きさ、伽藍の数は 阿耆尼国と同じくらいである。今のどこに当たるかについては諸説がある。ここを過ぎると険路となる。べデル峠、イシク・クル湖の辺りを過ぎると素葉水城(トクマク付近)に着く。この辺から西はスーリー人(ソグド人)が住む。気候は風寒く人もまばらである。突厥に服属している。風俗は軽薄で嘘偽りが罷り通っている。

  さらに西へ進むと千泉(メルケ)へ着く。ここはいい避暑地で泉や牧草が多く、突厥の可汗が毎年避暑にやって来るという。鹿が群生している。西へ進むとタラス城に至る。気候は素葉水城とおおむね同じで諸国の商胡が雑居している。近くに突厥にさらわれた中国人が三百余戸をなして住み、城を支えている。西南に行くと白水城に至る。気候、物産ともにタラス城より優れている。シムケント近辺に比定されている。西南へ行くと。恭御城に至る。ここは林樹が多い。南へ下るとヌージカンド国へ至る。土地は肥え農業が盛んで葡萄ができる。城や邑は百もあるがお互いに独立している。町の大きさからチルチクと推定される。

  タシュケント国は南北に長い。気候はヌージカンド国と同じで君主はいるが突厥に服属している。東南に行くとフェルガナ国に達する。フェルガナ国は山が四辺をめぐっている盆地である。土地は肥沃で農業は盛んである。花や果物が多い。気候は風寒く人の性質は剛勇である。統一は無く豪族が勢力を競い合っている。西に行くとストリシナ国に入る。産物、風俗はタシュケント国と同一である。パミール高原から発した葉河が激しく流れている。ここから北西に進むと大砂漠がありその先にサマルカンド国がある。サマルカンド国は堅固な城があり産物は豊富で農業は盛んである。果樹も多く良馬を産する。機織の技も優れている。気候は温和で礼儀は諸国の手本となり兵も強い。ブハラ国は東西に長く物産、風俗はサマルカンド国と同じである。

  天山北路を通ってサマルカンドに至るまでを簡略化して追って見た。以後長々と旅が続いて行く。