東洋文庫 大唐西域記 3 玄奘 (646)

  インドを巡った玄奘はいよいよ帰路につく。クンドゥズからたどってみよう。

  活国(クンドゥズ)は覩貨邏国の旧領である。突厥に隷属している。土地は平坦で穀物も取れ花、果実もよくなる。人の性質は烈しく衣服はフェルト、毛織である。伽藍は十数箇所、僧徒は数百人あり、大乗、小乗とも学習している。ここより東へ行くと葱嶺(パミール)に入る。南は大雪山(ヒマラヤ)に接し、北は熱海、千泉、西は活国、東はヤルカンドに至る。

  鉢鐸創那国(バダクシャーン)は覩貨邏国の旧領である。大都城フェイザーバード)は山の崖の上に位置して周囲六、七里ある。山や川が連なり砂や石がいっぱいある。土地は豆や麦に適し葡萄、胡桃、梨、からなしが多い。気候は寒さ烈しく、人の性質は剛勇である。風俗は礼儀作法なく学芸もない。顔貌は卑しい。ここより山中を東南に五百里、東北に五百里進むと達磨悉鉄帝国に至る。

  達磨悉鉄帝国は二つの山の間にあり東西の長さは千五百里、南北の長さは五里程でオクサス川に沿った渓谷である(ワハン回廊)。曲がりくねっており砂や石に覆われている。寒風は凄じく麦、豆を植えている。多く良馬を産し眼は碧緑である点が諸国と異なっている。

  カラバンダ国(タシュルクガン)は山々が連なりヤルカンド川が流れている。川原は狭隘で豆、麦がとれる。丘も野も荒れ果て住民は少ない。礼儀、学芸は無きに等しく人々の性質は荒々しい。伽藍は数十カ所、僧徒は5百余人、小乗教を学習している。

  カーシャ国(カシュガル)は砂漠が多く土壌は少ない。農業は盛大で花、果実は繁茂している。気候は和やかで風雨は順調である。人の性質は乱暴で偽りが多く礼儀は薄く学芸は平凡である。容貌は醜く入墨をし碧眼である。言語の語彙、音調は諸国と異なっている。伽藍は数百カ所、僧徒は一万余人、篤く仏法を信じ福徳利益の行に精励している。

  この後も玄奘タクラマカン砂漠の南の道を進み、最後に楼蘭に言及して旅は終わる。

  この旅程はマルコポーロらのそれと同じである。こちらの方が詳しかった。タシュルクガンの今の様子は2015.7.29の記事「DVD 天のゆりかご 世界の屋根パミールに生きる」で知ることができる。