東洋文庫 海游録 申維翰(1719)

徳川幕府八代将軍徳川吉宗の襲位を賀していわゆる朝鮮通信使一行475名が訪日する。その時の製述官が申維翰である。日記形式の記録で漢文で書かれている。

一行はソウルを1719年4月11日に出発し13日釜山に到着する。5月18日出航、南風に阻まれて絶影島に停泊。再び出航できたのは6月20日のことであった。夕刻佐須浦に到着、夜上陸し館に入る。食事には葱、芹、青菜、豆腐、鮮魚が出されている。高官である著者は村の貧しい様を嘲笑している。海路を経て6月27日に対馬藩の府中に到着する。一行は西山寺に宿泊し饗応を受ける。6月30日になって府中に参内する事になる。藩主に謁見する段になって著者は気色ばみこの島中は朝鮮の一州県に過ぎないと言い始める。大トラブルが予想されたが著者は謁見せずに西山寺に帰っていった。

7月19日壱岐に向かって出航する。強い追い風のせいで4時間ほどで島に到着する。松浦篤信が著者を訪ね来ると一転して上機嫌で談笑する。酒を酌み交わし琴の音を楽しんだ。8月18日に下関に到着する。此処は西海道の入り口であり防御も堅固である。ここには5日ほど滞在し瀬戸内の海路を進んで行く。9月4日大坂に着く。西本願寺に宿泊し夜は饗宴を開く。5日間滞在した後、陸路を行き京都に至り本能寺に到着する。東寺を過ぎてからは街並みが絢爛豪華になり著者はその様に幻惑される。

9月12日京都を立つ。三条大橋を渡り大津に至る。以後琵琶湖を過ぎ東海道を進んで行く。9月27日江戸城に到着。10月15日江戸を立ち今来た道を戻って翌年1月24日にソウルに到着した。