ETV特集 山の学校の記録 マスードと写真家長倉洋海の夢 (2017)

写真家の長倉洋海氏はソ連によるアフガン侵攻の頃からアハマッド・シャー・マスードに密着し取材を行なっていたがマスードタリバンに暗殺されてからはマスードが手がけていた学校を13年間支援し続けている。学校はパンシール川に沿った峡谷にある。2017年5月、長倉氏はカブール入りしパンシール川に沿って渓谷を登って行きポーランデ地区に至る。標高は2780mありタリバンの勢力が及ばない所という。生徒たちが長倉氏を出迎える。生徒の数は150人くらいで男女共学である。長倉氏は年に一回訪れておりオマールと呼ばれている。

卒業生の家を訪れる。マリナという女性だ。マリナに持参した小さい頃の写真を見せる。マリナはこの春高校を卒業しここで教えている。大学入学資格試験に合格したという。治安の悪化したバダクシャン(フェイザーバード)からやってきた生徒もいる。長倉氏は毎年手袋などの支援物資を届けている。この学校を経営しいるのはかつてマスードと一緒に戦っていた男たちである。

戦争写真家だった長倉氏は31歳の時アハマッド・シャー・マスード接触し100日間行動を共にする。彼らはソ連軍と戦うムジャヒディンである。マスードの貴重なインタビューがある。曰く、「イスラムの平等とは人間の魂の平等のことです。人種や民族には関係なく人間としての平等です。だから人間の優劣は思想と行動で決まります。もちろん経済活動は自由です。能力に応じて富を得ても良いでしょう。ですが豊かなものは貧しいものと自発的に富を分かち合います。それがイスラムの経済的平等です。共産主義とは違います。あなたはアフガニスタン女性差別の現実があると思うでしょう。だがそれは封建的習慣のせいなのです。イスラムの教えでは本来男女は平等です。」

ソ連軍が撤退し暫定政府が政権を取るとマスードは国防大臣に迎えられた。しかし権力を巡って国は内戦時代に突入する。その中で原理主義を標榜するタリバンが勢力を伸ばしてくる。 2001年3月バーミヤンの石仏がタリバンによって破壊される。4月欧州議会マスードは発言する。「ブッシュ大統領に伝えたいことがあります。アフガニスタンの平和樹立に関心を持たないままでいるとこの問題はアメリカや他の国にも広がって行くと確信します。」そうして9月11日がやってくる。この二日前にマスードは暗殺された。マスードの語録がある。「アフガニスタンのことはアフガニスタン人が決める。そのために私たちは戦ってきた。国の復興をするのは子供達だ。戦争が終わってから教育をしたのでは遅い。今からしなくてはならない。」

学校は朝8時半に始業する。資材はなくコンテナやテントで授業する。長倉氏はNGOをやるべきかどうか悩んだという。のどかな春がやって来る。桜が咲いている。子供らは川で泳ぐ。子供達の生活は朝5時に起きて家の手伝いをすることから始まる。お祈り、水汲み、炊事、山羊の放牧をする。この学校を卒業したアミンはバザラックの高校に通う。将来は農業技術者になりたいと言う。長倉氏は村人に昔撮った写真を見せて回る。毎年全員の写真を撮っていると言う。ナイマは中学一年で学校を辞め家事をすることになった。長倉氏は家を訪問して写真をプレゼントする。クラスメートの半分はカブールなどに出て学校に行っていると言う。カティーブがオートバイに乗って現れる。あと一年で高校を卒業する。高校は遠いが馬を売ったお金で買ったオートバイで通う。国のこれからについて民族が対立していては平和は来ないと言う。シャージアは希望の星だ。少女時代の写真を見ると神秘的な瞳が印象的だ。彼女はこの学校で初めて大学に進学した。授業の合間に学校に教えに来ている。パンシール大学で法律を学んでいる。長倉氏に聞かれて将来は弁護士になるよりここの教師になって貢献したいと話す。

ここはバクトリア(マザーリシャリフ)にわりと近くこの渓谷の先にはワハン渓谷がありパミール高原に至る。仲々興味深い場所である。だがこの話を美談と思うのは早計である。要するに国が機能していないために自前の教育機関を持っていると言うだけの話である。又ここでは触れられていないが医療機関としては街道を下って行ったところにAnabah Emergency Hospitalがある。さらに下るとバグラムの町に出る。ここは米軍の空軍基地がある事で有名である。道理でタリバンが来れないはずだ。