東洋文庫 風土記 (8世紀)

後半にある風土記逸文からいくつかの文を抜粋する。

飛騨国

風土記にいう、この国はもと美濃のうちであった。昔、近江大津に王宮を造った時、この郡から良い木材が沢山出て、馬の駄に背負わせて来たが、その速さはまるで飛ぶようであった。それで改めて飛騨の国と称する。 〜和漢三才図会 70〜

若狭国

若狭の国号

風土記にいう、昔この国に男と女があって夫婦となり、ともに長生きして人はその年齢を知らなかった。容貌の若いことは少年のようである。後に神になった。今の一の宮の神がこれである。それで若狭の国と称する。云云。〜和漢三才図会 71〜

摂津国 住吉(すみのえ)

摂津の国の風土記にいう、住吉と称するわけは、昔、息長足比売(おきながたらしひめ)の天皇神功皇后)のみ世に住吉の大神が出現なされて天の下を巡行し、住むべき国を探し求められた。その時、沼名椋(ぬなくら)の長岡の前においでになった。そこで「これはまことに住むべき良い土地だ」と仰せられて、最後に賛めたたえて「真住吉し住吉の国」といって、神の社をお定めになった。今の人は省略して単に「須美の乃叡」と称する。 〜釈日本紀 6〜

尾張の国号

風土記にいう、日本武尊が東の夷を征伐してこの国に帰還され、身につけていた剣を熱田の宮に奉納された。その剣は、もと八岐の巨蛇の尾から出たものである。それで尾張の国と名づける。 〜和漢三才図会〜

下総国上総国

下総と上総の国号

下総・上総は、総は木の枝をいう。昔この国に大きな楠が生えた。長さは数百丈に及んだ。その時の帝は不思議に思ってこれを占わせ給うと、神祇官の役人は奏上していった、「天下の大凶事である」と。これによって彼の木を斬り捨てると、南方に倒れた。上の枝を上総といい、下の枝を下総という。風土記