東洋文庫 古書通例 (1985)

著者の余嘉錫は1884年湖南省常徳に生まれる。科挙に合格し、北京大学で教鞭をとった後カトリック系の輔仁大学の教授になった人である。この本は副題に中国文献学入門とある様に実際に文献に当たる時の心得や落とし穴について詳述したものである。以下は本文の要約または抜粋である。

第一章 正史の経籍志には不著録の書物があること

古書を読む前に正しいやり方としてまず古書目録に当たる必要がある。その多くは失われており、唐代以前のもので残っているのは『漢書』芸文志、『隋書』経籍志、『旧唐書』経籍志、『新唐書』芸文志がある。これらのものと比べると『宋史』芸文志、『明史』芸文志、『清史稿』芸文志は不備が多く参考にならないが『四庫全書総目』はよく完備した目録である。

王朝が成立すると書籍探訪の詔が下され集まった書物を役人が検分し目録を作成する。これを元に経籍志が書かれるのでこれらの目録が最も信頼できる物である。

第二章 古書には撰者を記さないこと

古書を読む際、作者の姓名を調べ、それによりその人と時代とをおしはかり、はじめて書物の趣旨を汲み取ることができる。(中略)しかしながら、古書には多くの場合、撰者が記されておらず、その人物や時代を論じようとしても、それはきわめて困難なことなのである。

『春秋』文献上の根拠があり作者が孔子であることに異論はない。 『孝経』史記によると曾参(そうしん)が作ったとあるが鄭玄は孔子の作とみなしている。 『論語』劉向や班固などは孔子の弟子が記したものだというが鄭玄は仲弓、子夏、子游らが撰定したと指摘する。

思うに漢代の学者たちの説にはそれぞれ十分な由来があろうが、それでも憶測の部分もある。古書を読むのに長けた人は、よく思いをこらして判断し、しっかり学問を積み、信ずべきことを信じ、疑わしきことを疑えばいいのである。

第三章 古書の書名の研究

古書の書名は多くの場合、後世の人が後からつけたものであり、すべてが作者自らつけたものではない。それゆえ、官の書物や、その学問の由来がわからない書物にはそれぞれ別に書名がつけられたが、その他は多く人名を用いた。ここでは、古代の人々が書物に名付けたさまざまな方法を挙げる。

第四章 漢書著録の書名の異同と別本の単行

漢書』芸文志に著録された書物のうち、書名が現行本と異なるものや、また六朝、唐代の人々が見た本と異なるものがあり、さらには『七略』、『別録』と異なるものもある。それは、一つの書物に複数の書名があっても、漢志ではそのうちの一つだけを著録していることによる。

別本の単行というのは、古人が書物を著した場合、もともと書物を一部にまとめることをせず、往々にして何篇か書くとそのまま世に流通させたことをいう。その学を伝える人々は、自分の入手した本に応じて書名をつけた。

第五章〜第十一章は省略。