東洋文庫 夢渓筆談 (1090年頃)

北宋の役人だった沈括は55歳の時鎮江府に隠遁し本書を著した。まずは自序を引用する。

自序

わたしは林間に隠退し、奥に閉じこもって人づきあいを絶ちました。平素、客人と話したことを思いうかべて、折にふれてはふとあることがらを書き記すと、その人と向かいあって話しているかのようで、もの思わしく一日がすぎてしまいます。語り合う相手は筆と硯だけ、そこで「筆談」と名づけました。 (略)

日本の徒然草(14世紀)に似通った成り立ちが感じられるが、こちらは609段あり筋金入りである。

本文から少し引用する。

【3】 唐の翰林院は皇居の中にあり、とりもなおさず天子のおくつろぎになる場所であった。玉堂、承明殿、金鑾殿は、いずれもその中に位置する。御用をうけたまわる者たちーーー学士以下、職人、楽人、役所づきの下ばたらきなど、そこに所属している者はすべて、「翰林」と称した。 (略)

【9】 中国の服装は、北斉(550〜577)の時からというもの、すべて北方民族のそれを用いている。搾袖、緋と緑の短い服、長い靿靴、革袋のついた帯は、いずれも彼らの服装である。搾袖は騎射に便利だし、短い服と長い靴はどちらも草原を通過するのに向いている。北方民族は茂った草原を好み、いつもその中で寝起きすることは、わたしが北方に使者として赴いた時すべて目撃して来た。王の居処でさえ、深い草の中にある。 (略)

話題は多岐にわたっており殊に科学技術の分野に詳しい。活版印刷術、方位磁石についての記述がある。