エレーン・ランドー著 オサマ・ビンラディン (2001)

オサマは西欧社会では国際的に指名手配されたテロリストだがイスラム社会では英雄である。そしてその素顔は謎に包まれている。本書はそれらについて克明かつ簡潔に著したものである。

1957年に生まれたオサマは第11夫人の子でイエメン出身の父はサウジアラビアに出て建設業を営み成功していた。父が飛行機事故で亡くなるとオサマには3億3千万ドル以上の遺産が入ったと推定されている。地元の大学に進んだオサマはレバノンで遊興していたがある時から敬虔な生活を送るようになる。妻も敬虔な信者であった。1979年アフガンにソ連が侵攻するとオサマはすぐパキスタンに飛んで行き活動を開始する。具体的には募兵オフィスを立ち上げ訓練キャンプを開設し専門家を呼び寄せ兵士をアフガニスタンに送り込んだ。豊富な資金と建設業、コンピュータの知識が役に立ったという。オサマ自身もムジャヒディンとして前線に出て戦った。

こうしてアフガンで勝利を得たオサマはスーダンソマリア、フィリピンと活動の場を広げてゆく。数々のテロ事件を起こしたが未遂に終わった事件もある。クリントン大統領、ローマ法王、エジプトのムバラク大統領の暗殺は失敗に終わっている。オサマはスーダンアフガニスタンパキスタンと住む場所を変えていったが2011年にパキスタンで銃撃戦の末射殺されたという。

本文から引用する。

イスラム教徒

オサマ・ビンラディンイスラム教徒であり、イスラム教徒なら誰でもそうであるように、アラーが宇宙の主であると信じている。イスラム教徒の聖典であるコーランには、信仰深い生活を送り、死が訪れた時天国の門にいき着くために必要なすべても知識が収められていると考えている。イスラム教徒は何よりもアラーを敬い従う事を求められているし、そのようにするべきだと主張する。

しかし、オサマ・ビンラディンと他の圧倒的大多数のイスラム教徒の間で、教義に関する考え方が共通するのはここまでだろう。

イスラム原理主義とジハード

世界中の何百万人ものイスラム教徒が、自分たちはイスラムの教えに従っていると考えている。

しかし、オサマ・ビン・ラディンのようなイスラム原理主義者は、そのことを断固として認めず、現在広まっているイスラム法の解釈は寛容すぎると思っているのだ。

原理主義者はコーランを極めて厳密な意味に解釈する。

コーランは多くの行為の中で特に姦淫、賭け事、人を欺くこと、飲酒、豚肉を食べること、利子をとって金を貸すことを明確に禁じている。だから、例えばアメリカなどを、金銭と不道徳な快楽の追求が支配する、神に背く腐敗した国とみなすのである。(略)

アメリカからの支援

(略)

ある情報筋によれば、アメリカにスティンガーを提供させたのは、オサマ・ビンラディンのアイデアだったという。スティンガーは熱追尾型の地対空ミサイルで、ソ連の戦闘機を撃ち落とす性能をもっている。

紛争の期間中にロナルド・レーガン大統領はこの種の武器を、最も効果的な使用法を示した訓練用教本を添えて何十基も、アフガニスタンに送った。スティンガーのおかげでアフガニスタンの戦士たちは270を超えるソ連の戦闘機を撃ち落とした。

アルカイダ

(略)

この地域のイスラム原理主義者は、湾岸戦争と、それ以降引き続き中東に駐留するアメリカ軍にひどく憤慨していた。そして、ペルシャ湾アメリカを喜んで迎えているイスラム諸国家を、西側帝国主義者の手先に過ぎないとみなすようになっていた。

原理主義者のグループは、遠からずこのような体制を倒し、真のイスラム国家を建設する必要があると考えていた。

この目的を達成するために、イスラム戦士たちは、世界各地でアメリカを標的とする襲撃計画をたてた。彼らの望みは、容赦ないテロ活動によって、最終的にアメリカが中東から永久に撤退せざるを得なくすることであった。アメリカの支援がなくなれば、イスラム原理主義体制が宗教色の薄い国家を倒し、乗っとることも可能だからだ。

この計画の立案と実行のかなりの部分は、「アルカイダ」として知られるグループにゆだねられることになった。アルカイダビンラディンが中心となって組織し、育て上げてきたテロリストグループである。

以上引用終わり

オサマ・ビンラディンについては英雄視された虚像が多く出回っている。本書には少しだがオサマのか弱い実像や、常識に欠ける振る舞いについて書かれている。