東洋文庫 清代学術概論 中国のルネサンス 梁啓超 (1921)

本書は雑誌「改造」に連載された論文をまとめたもので、当時共産党の機関紙と化していた「新青年」とは方向性が異なると言って良い。民主と科学の導入、推進が基調となっているが、中国古来の文化にもある種の期待をかけているように見受けられる。観念的な記述が多いが、当時の実情がわかる記述がある。以下引用文。

二十五 梁啓超の革新鼓吹

《(略)三年ののち、康有為が無官の身でありながら上書し、追放されて故郷に帰った。人びとはみな、かれを異端視したが、陳千秋、梁啓超は好奇心がつよく、あいともにかれに面会を求めた。ひとたび相会うや大いに共鳴し、そこで弟子の礼をとって、康有為が学校を開いて講学するよう、ともに希望した。いわゆる万木草堂がこれである。二人は数ヶ月学んで、その得た学問を学海堂に宣伝し、大いに旧学を誹謗して、長老や仲間たちとの論戦にあけくれた。康有為は、かるがるしくその学問を教えようとはせず、万木草堂の学課は、『公羊伝』のほかには、『資治通鑑』『宋元学案』『朱子語類』などを句読をうって読む事だった。またつねに古礼を学んだが、陳千秋、梁啓超はこれには興味がなかった。そして、ともに周・秦の諸子および仏典を研究し、清朝の学者の経世論や西洋の書物の訳本をあさって、疑問の個所については康有為の裁断を仰いだ。一年ごに「大同の義」というのを聞いて、気が狂いそうなほど喜び、鋭意、喧伝しようとした。康有為は「まだその時期ではない」と言ったが、しかし禁止することはできなかった。》