失われた時を求めて (24)

ノルポワ氏の来訪は様々な余波を残した。一つは父がプルーストを外交官にするのを諦めた事である。これについては母親が不満を抱く。以下引用文。(吉川一義訳)

《「放っておきなさい、と言っているんだ」と父は大声をあげた、「なにより大切なのは、やっていることが楽しいかどうかだ。あれはもう子供じゃない。今では、なにが好きなのかもよくわきまえている。これから変わるとも思えんし、どうしたら幸せな人生が送れるかを自分で気づく能力もあるんだから。」》

今ならよくある光景だが、当時の父親の考えとしては相当リベラルなものだと思う。日本では夏目漱石の時代である。

ジルベルトに対するプルーストの想いは高まる一方だが、シャンゼリゼでの遊びが不純なものになってゆく。プルーストは望ましくない人物というスワンの見方が当を得ている証明になっている。スワンに書いたプルーストの手紙についてのやり取りを見ていると、聡明なスワン、愚鈍なプルーストという構図が見えてくる。

プルーストの喘息が悪化した事でコタール教授が呼ばれて、診察し処方を書いていった。それは下剤を用いた牛乳療法というやつで、体力の消耗を恐れた両親はそれは行わず栄養を取らせる事にした。ところが症状は悪化し、その後の牛乳療法で良くなったのである。プルーストはこう語っている。以下引用文。(吉川一義訳)

《この手の症例を診るのに呼ばれた医者は、学識があるだけでは充分とはいえない。目の前の症状の背後に三つか四つの異なる病気の可能性がある場合、見たところではほとんど区別がつかなくてもこの病気だと診断を下すのは医者の勘であり、眼力である。この不思議な天分は、ほかの知的分野での卓越を前提としない。ひどく俗悪な人物で、最低の絵画と最低の音楽を愛好してまったく知的好奇心のない者でも、みごとにこの天分を所有している場合がある。(略)私たちにもようやくそのことが理解でき、この間抜けな男がじつは偉大な臨床医であるとわかったのである。》

プルーストがこんなに高飛車だとは。お父さんも高名な医学者なのに、この息子は勉強もせずに人をバカにする性癖があるようだ。